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『十字御書』 

『十字御書』 弘安415日 60歳 御書1,551

正月の一日は日のはじめ、月の始め、としのはじめ、春の始め。此をもてなす人は月の西より東をさしてみつがごとく、日の東より西へわたりてあきらかなるがごとく、とくもまさり人にもあいせられ候なり。

《愛される理由は、元旦にあり》

正月一日は、一年の「初め」、日の初め、月の初め、としの初め、そして春の初めです。

この「一年の最初の一日」を大切にする人は、まるで月が西から東へ満ちていくように、太陽が東から西へと明るさを広げていくように、徳も増し、人々からも敬愛されるのです。

《語句の意味》

〇月の西より東をさして満がごとく

三日月は夕刻西の空、半月は夕刻南の空、満月は夕刻東の空にあることをこのように表現されたもので、月が西の空から昇ってくる、というものではないことにご注意を。

◇新しい年を、御本尊様の御前から踏み出す尊い福徳

十字御書』に示される安穏の歩み

日蓮大聖人御聖誕805年・宗旨建立774年の新春にあたり、謹んでお慶びを申し上げます。

新たな年の幕開けにあたり、寒気厳しき中にもかかわらず、ご参詣になられた皆さまの御信心はまことに尊く、心よりお祝い申し上げるとともに、身を運ぶことのできましたご境涯に重ねてお歓びを申し上げます。

年の初めに、総本山の出城であり、菩提寺である佛乘寺の御本尊様の御前に身を運ばれたその一歩は、一年を貫く大きな功徳の因となるものであると、固く信ずるものです。

正月一日という「四つの始まり」

日蓮大聖人様は、拝読申し上げました『十字御書』において、正月一日が単なる年中行事ではなく、「日・月・年・春」の四つすべての始まりを重ね持つ、最も尊い時であることを明らかにされております。

すなわち正月の一日は、時間の上でも、季節の上でも、そして人生の歩みの上でも、あらゆる「始発点」にあたる日である、ということです。

月と太陽に譬えられた、「積み重なる尊い功徳」

そして、この「始まりの日」を大切にし、御教えに向き合う人は、月が日ごとに満ちていくように、また大陽が天地を照らしていくように、その徳が自然と増し、人々から敬愛される存在となっていくと仰せです。ここに、正月のご参詣がもたらす功徳の核心が示されています。御文の「月の西より東をさして満つがごとく」とは、新月から三日月へ、三日月から満月へと、月が夕刻の空で西から東へと位置を移しながら、次第に満ちていく様子を譬えられたものです。月が実際に西から昇るという意味ではなく、満ち欠けの道理そのものを示されたご表現です。

同様に、「日の東より西へわたりてあきらかなるがごとく」とは、太陽が一日を通して明るさを広げていく姿をもつて、徳の広がりを譬えられたものです。

目に見えずとも確実に現れる功徳

この月と太陽の譬えが示すように、正月一日に積まれた功徳は、目に見える形で即座に現れるとは限りません。しかし、月が一夜ごとに満ち、太陽が毎日変わらず昇るように、確実に、着実に、人生を照らし、支えていく功徳となって現れてまいります。

厳しき時代にこそ確かな依り所を

今日の社会を見渡しますと、世界情勢の不安定化、経済の先行きへの懸念、政治への不信感、さらには各地で相次ぐ自然災害など、私たちの暮らしを取り巻く環境は決して穏やかとは申せません。将来への不安を抱え、自身の足元さえ揺らぐ思いをされる方も少なくないことでしょう。

しかし、このような時代であるからこそ、御本尊様を確かな依り所とし、日蓮大聖人様の教えを信じて精進する私たちの歩みには、大きな意義があります。正月という最勝の時節に御法に向き合い、信心の軌道に身を置いた人は、いかなる状況の中にあっても、確かな功徳を具え、必ず一歩前へと進むことができます。

正月の参詣は一年を決する仏道修行

正月のご参詣は、単に年初のご挨拶をすることではありません。一年の最初に、何を依り所として生きていくのかを、御本尊様の御前で明らかにする、厳粛な仏道修行です。

寒さや忙しさを乗り越えて参詣された皆さまは、すでにその仏道修行によって、一年が安穏かつ希望にあふれたものになる大きな因を積まれました。

◇実践により得られる信心の功徳

大聖人様は、信心とは観念や思いだけのものではなく、時にかなった実践によって功徳が定まることを、数多くの御書に示されております。正月という最勝の時に、御本尊様を中心として一年の歩みを始められたお姿そのものが、大聖人様の御教えに適った実践であり、その功徳は必ずや家庭に、仕事に、人間関係に、そして自身の生命に現れてくることでしよう。

月が満ち、日が照らすごとく前進を

本年もまた、さまざまな出来事が待ち受けているかもしれません。しかし、年頭において正しく信心の軌道に身を置いた人は、いかなる境遇にあっても揺らぐことなく、月が満ち、日が照らすように、着実に前進していくことができます。

どうか皆さま、この正月に参詣された功徳を深く確信され、一日一日を大切に、御本尊様と共に歩んでください。その積み重ねの先にこそ、「とくもまさり、人にも愛せられ候なり」と仰せのままの人生が、必ず開かれてまいります。

◇ご信心にご縁のない皆さまに 信心という「特別ではない一歩」を

ここで、これまで日蓮大聖人様の御信心にご縁のなかった方にも、ぜひお伝えしたいことがあります。

日蓮大聖人様の仰せられる信心とは、決して特別な才能や、強い覚悟を持つ人だけのものではありません。まして、何かを犠牲にしたり、無理に自分を変えたりすることを求めるものでもありません。それは、「人生をより確かなものとしたい」「この先を安心して歩んでいきたい」と願う、ごく自然な心から始まるものです。

十字御書』に説かれるように、正月の一日は、「日・月・年・春」という四つの始まりを重ね持つ、最勝の時です。これは言い換えれば、何かを始めるのに、これ以上ふさわしい時はない、ということを意味しています。

信心もまた同じです。

すべてを理解してから始めるのではなく、まず一歩、御本尊様の御前に身を運び、南無妙法蓮華経と唱えてみる、その小さな行いの中に、すでに大きな因が具わっているのです。

月が一夜にして満月とならないように、信心の功徳もまた、静かに、しかし確実に積み重なっていきます。最初は、自分自身の心の落ち着きとして、あるいは物事の受け止め方の変化として現れるかもしれません。

しかし、その積み重ねはやがて、家庭に、仕事に、人間関係にと、人生全体を照らす確かな光となって現れてまいります。

これこそが、『月の西より東をさして満つがごとく』『日の東より西へわたりてあきらかなるがごとく』と仰せられた日蓮大聖人様が教えてくださる功徳の実相なのです。

もしこの文章に触れ、心のどこかに安らぎや希望を感じられたなら、それはすでに御本尊様に導かれている証といえましょう。

どうかその一念を大切に、次は実際に御本尊様の御前に立ち、祈り、唱題する一歩を踏み出してみてください。その一歩こそが、人生を安穏へと導く、かけがえのない出発点となるのです。

◇自行化他に生きる一年へ

未だ正法に縁なき人々に教え伝える『折伏』によって、益々「とくもまさり、人にも愛せられ候」となることは、諸御書に照らし合わせて間違いのないことです。常に「折伏」を御指南くださる御法主日如上人の仰せのままに、自行化他の信心に励んでまいりましょう。本年が、皆さまお一人お一人にとつて、歓びに満ちた、安穏な一年となりますことを心より念じ上げます。