『佐渡御勘気抄』 文永8年10月初旬 50歳 御書482㌻
日蓮は日本国東夷東条安房国、海辺の旃陀羅が子なり。いたづらにくちん身を、法華経の御故に捨てまいらせん事、あに石に金をかふるにあらずや。
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「石を金に」
日蓮大聖人様は、日本の東の果て・安房国の海辺に、身分の低い者の子としてお生まれになりました。しかし、この取るに足らない命であっても、法華経のために捧げるならば、「石を金に変える」ほど尊い価値に転ずるのだと仰せです。
2月16日は大聖人様の御誕生日です。御自身のお生まれを「日本国東夷東条安房国、海辺の旃陀羅が子」と表現されているように、東の果て、つまり当時の都から見れば田舎にあたる地域、現在の千葉県房総半島に生を受けられました。もっとも、鎌倉時代の日本では、東北地方や北海道はまだ日本の領域として十分に認識されていなかったため、安房国は当時の日本で最も早く太陽が昇る地でもありました。ここにも象徴的な意味があると拝されます。ちなみに、現在では根室市の納沙布岬が最も早く日が昇る地とされています。
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「東夷」と「旃陀羅」
「東夷(とうい・えびす・あずまえびす)」とは、古代中国で東方の異民族を指す蔑称であり、日本においては、都(奈良・京都)から見た東国の人々を、未開・粗野と見なす呼称でもありました。「征夷大将軍」という語も、こうした世界観の中から生まれた言葉です。
また、御文にある「旃陀羅」は、梵語caṇḍālaの音写で、インドの四種姓(ヴァルナ)制度の枠外に置かれた最下層の人々を指します。狩猟や屠殺などを業とし、「不可触民」として差別されていました。
大聖人様が、あえてご自身の出生を「東夷」「旃陀羅の子」と示されたことには、深い御意が込められています。
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日寛上人の御指南
総本山第26世日寛上人は、『開目抄文段』において次のように仰せです。
【原文】
問う、吾が祖、何ぞ下賤の家に生まれたまうや。
答う、凡そ末法下種の法華経の行者は、三類の強敵を招くを以て、用いてその義を顕す。吾が祖若し貴姓の豪家に生まれたまうならば、仮使折伏修行を励むと雖も、三類の強敵の競い起るべきこと難からん。若し爾らば、何を以てか法華経の行者なることを顕さんや。況やまた悲門は下を妙と為す、即ちこれ慈悲の極みなり。(文段集99㌻)
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【現代語訳】
《問い》なぜ大聖人様は、あえて卑しい身分の家にお生まれになったのでしょう
《答え》末法に仏の種を植える法華経の行者は、三類の強敵(俗衆増上慢・道門増上慢・僭聖増上慢)を招くことによって、その教えの正しさを証明します。もし大聖人様が名家にお生まれであれば、折伏に励んだとしても、三類の強敵が競い起こることは難しいでしょう。そうであれば、何をもって法華経の行者であることを証明できるでしょうか。
さらに、「悲門は下を妙と為す」とあり、民衆と同じ苦しい境遇に身を置くことこそが、慈悲の極みなのです。
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「慈悲」とは何か
「慈悲」は、「抜苦与楽(苦を除き、楽を与える)」と表現されます。
「慈(じ)」は梵語マイトリー(maitrī)に由来し、「友」を意味するミトラ(mitra)から生まれた言葉で、真の友情、相手の幸福を願う心です。すなわち、相手を自分と同じ一人の尊い人間として敬い、その安らぎと喜びを願う心であります。「悲(ひ)」は梵語カルナー(karuṇā)に由来し、他者の苦しみに触れて思わず漏れる呻きや、心を揺さぶられ、行動へと駆り立てられる動的な共感を意味します。単なる「悲しみ」ではなく、「同苦」し、行動をもって苦を除こうとする心です。
日寛上人の「悲門は下を妙と為す」という御指南は、まさにこの「同苦」にこそ、慈悲の極致があることを教えてくださっています。
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なぜ「下賤の身」でなければならなかったのか
ここで一つ考えてみたいのは、なぜ貧窮下賤の身でなければ、三類の強敵が競い起こることが難しいのか、という点です。
その答えは一言で言えば、「世俗的な権力や身分が、仏法を迫害しようとする者たちのブレーキになってしまうから」です。
第一の理由
法華経勧持品第十三には、末法に法華経を弘める者は必ず、俗衆・道門・僭聖の三類の強敵から激しい迫害を受けると予言されています。とくに僭聖増上慢は、権力者を動かして弾圧を加えようとします。もし法華経の行者自身が権力ある名家の出身であれば、反対勢力は「敵に回せば自分が危ない」と考え、迫害をためらうでしょう。そうなれば、経文に説かれた難が現実とならず、法華経の真実性も証明されません。
そのため、大聖人様はあえて力なき庶民の身として立ち上がり、経文どおりの大難を身に受けることで、ご自身が法華経の行者であることを証明されたのです。
第二の理由
民衆と同じ目線に立ち、不条理や差別と闘い、社会を変革するためです。当時の貴族や名家は守られる側であり、虐げられる民衆の痛みとは切り離されていました。大聖大様は、あえて「下」の境遇から立ち上がり、国家権力や既成宗教という巨大な強敵に一大で立ち向かうことで、同じ苦しみの中にある大々を勇気づけ、真の慈悲を示してくださいました。
『諌暁八幡抄』には、
「一切衆生の同一の苦は悉く是日蓮一大の苦なり」(御書1,541㌻)と仰せです。すべての衆生の苦しみを、大聖大様はご自身一大の苦として引き受けてくださったのです。私たちは、その御恩を忘れず、御恩に報いる信心を貫いていきたいものです。
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《まとめ》
石を金に変える「宿命(自ら選んだ生命)」の物語
日蓮大聖人様が、あえて名家ではなく安房の海辺で庶民の子として生まれられたのは、決して不幸な運命ではありません。それは、末法の苦しむ人々を救うために、大聖人様ご自身が選び取られた「宿命」であり、使命であったと拝されます。
第一に、法華経の正しさを証明するため。力なき庶民として立ち上がり、命に及ぶ大難を呼び起こし、それを耐え抜く姿を通してのみ、経文の真実性を証明することができたのです。
第二に、慈悲の極致である「同苦」を貫くため。最も低い立場に身を置くことで、虐げられた民衆と同じ目線に立ち、その呻きを自らのものとして分かち合われました。この同苦の心こそが、大々を根底から励ますカとなりました。大聖大様は、法華経のために身を捧げることを「石に金をかふる」と表現されました。朽ち果てるはずだった厳しい宿命も、正法に生きるという使命に目覚めれば、無上の価値をもつ黄金の生命へと輝き始めます。
この御文は、私たちに教えてくださいます。
「どんなに苦しい境遇であっても、それは誰かを救うために自らが選んだ使命の舞台であり、必ず黄金の人生へと転換できる」と。
この教えこそ、日蓮大聖人様の仏法の真髄なのです。