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「立正安国論」

『立正安国論』 文応元年7月16日 39歳 (御書249㌻)

汝須く一身の安堵を思はゞ先ず四表の静謐を祈るべきものか。

◇みんなで幸せに◇

あなたの本当の幸せは、周りの方々も幸せになったときに叶えられる。

文応元年(1260年)7月16日、聖 寿39歳の御時に日蓮大聖人様は『立正安国論』をお認めになり、鎌倉幕府を折伏されました。第一回目の国家諫曉です。

大聖人様は『安国論御勘由来』で『立正安国論』をお認めになり、鎌倉幕府第5代執権・北条時頼に提出した理由を次のように記されております。

『安国論御勘由来』(聖寿47歳 新編御書367㌻・文永5年4月5日) 

正嘉元年太歳丁巳八月二十三日戌亥の時、前代に超えたる大地振。同二年戊午八月一日大風。同三年己未大飢饉。正元元年己未大疫病。同二年庚申四季に亘りて大疫已まず。万民既に大半に超えて死を招き了んぬ。而る間、国主之に驚き、内外典に仰せ付けて種々の御祈祷有り。爾りと雖も一分の験も無く、還りて飢疫等を増長す。

日蓮世間の体を見て粗一切経勘ふるに、御祈請験無く還りて凶悪を増長するの由、道理文証之を得了んぬ。

終に止むこと無く勘文一通を造り作し其の名を立正安国論と号す。文応元年庚申七月十六日辰時、屋戸野入道に付し故最明寺入道殿に奏進し了んぬ。此偏に国土の恩を報ぜんが為なり。

(現代語訳)

正嘉元年(聖寿36歳、西暦1257年)8月23日午後9時ごろに、それまでに経験したことのない大地震がおこりました。翌年の8月1日には大風、翌3年には大飢饉、さらに正元元年(1259年)には大疫病、翌2年は四季を通して疫病がおさまることはありませんでした。地震や大風や疫病で国民の半分以上が死んでしまいました。このような状況に驚いた国主は、寺院や神社などに命じて、地震や大風や疫病の終息を祈るように命じました。しかし、祈りの効き目が現れることはなく、かえって飢饉や疫病は増すばかりでした。

日蓮はこのように世間で起こっていることを目の当たりにして、一切経と照らし合わせてみたところ、寺社に命じた祈りには効き目のないことと、反対に寺社に命じた祈りでいよいよ災いが増す理由を知り、さらに祈りを叶えるための筋道や文献に示される証拠を知ることができました。

結局、このまま放置しておくことはできませんから、幕府の執権たちの信仰が、道理や文証に背いていることを一通の勘文に認め、『立正安国論』と名付けました。

その書を、文応元年(1260年)太歳庚申7月16日午前8時に、宿屋入道を通して故最明寺入道殿に奏進いたしました。これはひとえに国土の恩に報いるためです。

御書には、

「而る間、国主之に驚き、内外典に仰せ付けて種々の御祈祷有り。爾りと雖も一分の験も無く、還りて飢疫等を増長す」

と記されております。

打ち続く災難に驚いた国主が、国土や人身の平穏を寺院や神社に祈らせたのですが、祈りが叶わなかったばかりか、反対に以前より悪い状況になったのです。

日蓮大聖人様はこのときに、諸宗の僧侶や神官が懸命に祈っているのに、なぜ祈りが叶わないのだろうか、祈る本尊は正しい教えに基づいたものであろうか、読誦する経文は仏の正意だろうか、とお考えになり、改めて一切経に目を通されるのでした。それが次の御文です。

「日蓮世間の体を見て粗一切経を勘ふるに」

とあります。

この時一切経を閲覧されるために赴かれたのが、静岡県の富士川河口にほど近い、岩本の実相寺でした。この実相寺の近くにある四十九院で、日興上人が修学に励まれており、鎌倉から立派な御僧侶が一切経を閲覧されるために滞在されていることを耳にされた日興上人は実相寺ではじめて大聖人様にお目にかかり、

その場でお弟子になられたのです。

一切経に目を通された大聖人様は、祈りが叶わないばかりか、状況を悪くするだけであることを、

「御祈請験無く還りて凶悪を増長するの由、道理文証之を得了んぬ」

と述べられます。

ここの「凶悪を増長する」は現証です。一切経に照らし合わせてみたときに、当時の鎌倉幕府の執権たちの信仰が、ことごとく誤ったものであることを、文証・理証・現証の三証の上から指摘されております。さらに、指摘されるだけではなく、どのようにすれば現実を変えることが叶うのか、理証と文証の上から、私はそのことを得た、知ることができた、と仰せになるのです。

大聖人様は『三三蔵祈雨事』では、

「日蓮仏法をこゝろみるに、道理と証文とにはすぎず。又道理証文よりも現証にはすぎず」 

(御書874㌻)

と仰せです。現実に表れた姿から、信仰している仏法、教えの浅深、高低が明らかになることをご教示です。寺社の祈りの現証、現実に表れている姿によって、教えの正邪が判定されるのです。

「終に止むこと無く勘文一通を造り作し其の名を立正安国論と号す」

ここに記される「終に止むこと無く」とのお言葉から、大聖人様の一切衆生への大慈大悲を拝するものです。間違った方法で祈ることで、国中が苦難の中に陥れられていることを知っていながら黙っているわけにはいかない、と。正しいことを正しいと発言することは、勇気のいることでした。しかも当時は封建時代です。現在とは比べものになりません。折伏に立ち上がるその時のご心情を、『開目抄』では、

「これを一言も申し出だすならば父母・兄弟・師匠に国主の王難必ず来たるべし。いわずば慈悲なきににたりと思惟するに」   (御書538㌻)

と述べられております。

南無妙法蓮華経とお題目を唱え折伏をすることで、末法の私たちが幸せになることができる、南無妙法蓮華経以外の信仰では幸せには道はない、と一言でも言い出したら、大聖人様ご自身だけではなく、父母や兄弟や師匠までも国家から迫害を受けることになる。言わなければ無慈悲になる、どちらを選ぶべきか、と深く思いめぐらされたのです。それでも敢えて、正しい教えを立てて、安穏な国家社会を建設しようではないか、と『立正安国論』を奏進されたのです。

「終に止むこと無く」のお言葉を心から拝さなくてはなりません。

よく知られている宮沢賢治の言葉に、

「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」

(『農民芸術概論綱要』)

があります。これは、『立正安国論』の教えを言い換えたものだと言われております。

今月の拝読御書

「汝須く一身の安堵を思はゞ 先ず四表の静謐を祷るべきものか」

を忘れることなく、自らの幸福とまわりの幸福を願い、自行化他の行動を起こしてまいりましょう。

(朔日講〔聖寿801年7月1日〕にて)