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「南条殿御返事」

『南条殿御返事』弘安4年9月11日 60歳 御書1,569㌻

参詣遥かに中絶せり。急々に来臨を企つべし。是にて待ち入って候べし。

◇大聖人様がお待ちくださる総本山へ

〔現代語訳〕

 しばらく御参詣なさっておりません。急ぎ急ぎ来臨を計画しなさい。貴方の御参詣を日蓮は待ちわびております。

 日蓮大聖人様の800歳を御祝い申し上げる記念登山が、新型コロナウイルス感染症のパンデミックで延期を余儀なくされておりました。世界中の法華講衆の尊い信心でコロナ禍も終息しつつある本年、慶祝登山を執り行う旨の発表が総本山よりございました。

 丸3年もの間御開扉を受けられなかった方もおられます。罪障消滅の功徳を受けるためにも、受けた功徳を未入信の方々に振り向けるためにも、大御本尊様への強い心を一つにして登山参詣に励んでまいりましょう。

 今月は登山参詣の功徳について教えて下さる『南条殿御返事』を拝読して、日蓮大聖人様に御目通りが叶う幸せを学びましよう。

 当抄は御入滅される1年前、弘安4年9月11日に身延で御認めになられ、南条時光に与えられたものです。

 冒頭に、「塩一駄・大豆一俵・とっさか一袋・酒一筒給び候」とございます。身延山中の大聖人様のことを思われて、塩・大豆・とっさか(鶏冠菜)・酒を御供養したことがわかります。とっさかはトサカノリのことです。海藻で「鶏冠菜」と書きますように、ニワトリのとさかのような鮮やかな紅色をしていることからこの名があるようです。

 塩や大豆、海藻などの品は生命を維持する上で欠かすことのできないものです。海から遠く離れた身延山では、塩や海藻などは殊の外貴重なものでした。

 「酒一筒」と、竹筒に入ったお酒の御供養もございます。お酒は「薬酒」として引用されていたことが、当抄の3ヶ月後、12月8日の『上野殿母御前御返事』に述べられております。

『上野殿母御前御返事』 弘安4年12月8日 60歳

 この十余日はすでに食もほとをどとゞまりて候上、ゆきはかさなり、かんはせめ候。身のひゆる事石のごとし、胸のつめたき事氷のごとし。しかるにこのさけはたゝかにさしわかして、かっかうを、はたとくい切りて、一度のみて候へば、火を胸にたくがごとし、ゆに入るににたり。あせにあかあらい、しづくに足をすゝぐ。此の御志ぎしはいかんがせんとうれしくをもひ候ところに、両眼よりひとつのなんだをうかべて侯。 (1,579㌻)

〔現代語訳〕

 この10日あまりは食事もほとんど喉を通ることがなくなりました。その上、雪は降り積もり、厳しい寒さに責められております。身は石のように冷たく、中でも胸の冷たさは氷のようです。そのような中で御供養の酒を温めて、薬草のカッコウ(藿香)をしっかりと食い切り、いちどに飲め下せば、氷のように冷たくなっていた胸が、火を焚いたように暖かくなりました。まるで湯に入ったように体は温まり、流れ出る汗で垢を洗い落とし、したたり落ちる雫で足を洗い清めることができるほどです。貴い品々をお送り下さった御信心にどのようにしてお応えすればよいだろうかと考えていたところ、思わず両眼から涙があふれてまいりました。

 大聖人様の御身を案じて貴重な品々を御供養なさる南条家の厚い御信心と、その御信心を心から讃歎される大聖人様のお言葉に、寺檀和合・僧俗和合した姿を有り難く拝するものです。

 話がそれましたが、当抄(『南条殿御返事』)の冒頭の御文に続いて、

 「品々の物ども取り副(そ)へ候ひて御音信(おとづれ)に預かり候事申し尽くし難き御志にて候」

とあります。このとき時光は「品々の物」の御供養と併せて「御音信」をお届けしました。この「御音信」は、当抄の追伸に記される「御使ひの申し候を承り候。是の所労(しょろう)難儀のよし聞こえ候」 (1,570㌻)との仰せを指します。

 ここで「御使いの申し候を承り候」とありますことから、このときに時光は筆を手にすることができず、使者を通して大聖人様に自らの様子を御報告せざるを得ない状況であったことが想像されます。

 弘安5年2月25日の時光に与えられた『伯耆公御房消息』に、「なんでうの七郎次郎時光は身はちいさきものなれども、日蓮に御こゝろざしふかきものなり。たとい定業なりとも今度ばかりえんまわう(閻魔王)たすけさせ給へと御せいぐわん候」 (1,589㌻)

〔現代語訳〕

 「南条七郎次郎時光は、身は小さい者であるが、日蓮の信仰に深く帰依しております。例え過去世の悪業により、今世で変えることができない、とされる『定業』であっても、この度だけは閻魔法王に『時光のことを助け給へ』と強く祈ります」とあります。時光の病が良くなるように大聖人様が御祈念をして下さったこと、さらに3日後の『法華証明抄』には、「この上野の七郎次郎は(乃至)捨つる心なくて候へば、すでに仏になるべしと見へ候へば、天魔・外道が病をつけてをどさんと心み候か。命はかぎりある事なり。すこしもおどろく事なかれ」 (1,591㌻)

〔意訳〕

 「この上野の南条時光は(日蓮の教えを)堅く信じております。時光の成仏は間違いないと見た、正法を妨害したり成仏の妨げをする役目の天魔・外道が、その身を病に変えて時光の信心を試しているのでしょうか。天魔や外道に責められて退転するにしても、信心を貫いて成仏の境涯を得るにしても、私たちの命は一つです。死を恐れることなく、正法を受持することが肝要です」

とあります。これらのことから時光の病状が重大であったことが知れます。

 筆を手にすることもできないほどの重い病の床にある時光に対して大聖人様は、

 「参詣遥かに中絶せり。急ぎ急ぎに来臨を企つべし、是にて待ち入って候べし」と仰せになります。当抄の追伸に、「いそぎ療治をいたされ候ひて御参詣有るべく候」とございますので、治療をして病が癒えたら参詣しましよう、との仰せと拝することも可能ですが、『伯耆公御房消息』や『法華証明抄』を拝する限りでは、医師の治療を受けたり薬を服用して平癒することは不可能な「定業」だったと思われます。そこで大聖人様は仰せ下さるのです。「日蓮はここで待っております。日蓮のもとに足を運びなさい」と。

 そのお心の底には、「病気は過去の罪業によるもので信仰を根本にしなくては良くならない。(末法の本仏である)自分の住しているところが仏国土であり、そこへ参詣するということが過去以来の罪障を消滅する方法です。故に急いで登山参詣をし病気が良くなるよう励むべきであります」との御本仏の御確信がおありです。大聖人様御在世の時から、大聖人様への御目通りが罪障消滅の根本でした。言うまでもありませんが、罪障消滅は現世で功徳を積み、来世には善き処に生まれることと不可分です。

○日蓮大聖人様に御目通りすれば過去世からの罪障が消滅します

 「四条金吾殿御返事」では、「仏菩薩の住み給ふ功徳聚(くどくじゅ)の砌(みぎり)なり。多くの月日を送り、読誦し奉る所の法華経の功徳は虚空にも余りぬべし。然るを毎年度々(たびたび)の御参詣には、無始の罪障も定めて今生一世に消滅すべきか。弥(いよいよ)はげむべし、はげむべし」  (1,502㌻)

〔現代語訳〕

「(日蓮の住する所は)仏や菩薩が住される所であり.一切の功徳が集まった所です。多くの月日をここで過ごし、その間に読誦した法華経の功徳はこの大空に満ちあふれております。そのようなことでありますので、年々に、度々御参詣なさる功徳は、生命を得て以来今日までの間に積み重ねた罪障も、現世でのこの御信心によって消滅いたします。いよいよ励みましょう。励みましょう」

 過去世からの罪障も消滅する功徳、と仰せです。現世の信心によって過去世を変えることができる信心であることがここに示されております。

 このように、大聖人様がお待ちくださる総本山に足を運ぶことで、尊い功徳を受けることができるのです。

○困難を克服しての登山参詣にはより大きな功徳

『是日尼御書』 弘安元年4月12日 57歳

さどの国より此の甲州まで入道の来たりしかば、あらふしぎやとをもひしに、又今年末てなつみ、水くみ、たきぎこり、だん王の阿志仙人につかへしがごとくして一月に及びぬる不思議さよ。ふでをもちてつくしがたし。 (1,220㌻)

〔現代語訳〕

 入道が、佐渡国より甲州・山梨まで来られました。年老いた入道がはるばると登山参詣されたことは、思いはかったり言葉で言い表すことができないものだと考えておりましたところ、また今年も参詣され、そればかりか、菜を摘んだり水を汲んだり薪を切ったりして貴い身の供養に励まれました。経文に説かれております、壇王が千年ものあいだ阿私仙人に仕えたように、入道もひと月ものあいだ日蓮に仕えて下さったことは、さらに不思議なことです。このことは、文字で書き表すことができません。

 南条時光が住んでいた富士上野からは半日、四条金吾の住んでいた鎌倉からは6日ほどで大聖人様のもとに着くことができました。それでは佐渡からは何日くらいだったでしょうか。佐渡島から対岸の新潟市や柏崎市に渡るだけでも、風向きや海流によっては何日も待たなくてはならない時もあります。陸路に入っても、北アルプスや南アルプスなどの険しい山々が立ちはだかっております。2,000メートルから3,000メートルに達する高山を縫うようにして開かれた山道は90歳を超えた阿仏房にとっては厳しい道中でした。自然ばかりではなく、山賊なども難敵で、順調でも佐渡から身延までは20日以上掛かったであろうと言われております。それでも大聖人様にお目に掛かりたい、と言う一心が、阿仏房たちの歩みを運ばせたのです。佐渡流罪中の大聖人様に、鎌倉から参詣した日妙聖人の例もありますように、大聖人様の御座します所が尊く、そこに足を運ぶことで功徳を受けられると信じていたからです。

 交通の発達した現在でも、アフリカや南米などを含め世界各地から登山参詣する法華講衆は、距離ばかりか費用の面などでも少なくない困難がともないます。それらを乗り越えての登山参詣ですから、「日蓮はこの度の登山参詣を拝見して、思いはかったり言葉で言い表すことができないほど貴いものです」と御本仏よりお褒めのお言葉をたまわることができると信じます。私たち佛乘寺法華講衆に対しても「種々の困難を乗り越えて日蓮のもとに足を運ぶ信心修行に大きな功徳が具わります」とお言葉を掛けて下さいます。

 南条時光や四条金吾、さらには阿仏房や世界各地の法華講衆が教えてくれた登山参詣の精神と姿をお手本にして、私たちも励んでまいりましょう。

○総本山富士大石寺が私たちの信心の根源

 妙楽大師(みょうらくたいし)は『摩訶止観輔行伝弘決』で、「化を受け教えを稟(う)く、すべからく根源(こんげん)をたずぬべし、もし根源に迷わば則ち増上(ぞうじよう)して真証(しんしょう)をみださん」と教えます。つまり「仏道修行をして功徳を得るためには、仏法の〔根源〕を求めなくてはならない。もし根源に迷ったならば、増上慢(ぞうじょうまん)に陥(おちい)り成仏の功徳はない」ということです。

 日蓮正宗の〔根源〕は申すまでもなく総本山であり、奉安堂に御安置の〔本門戒壇の大御本尊〕であらせられることは論をまちません。従って、総本山に登山し、大御本尊様に御開扉を願うことが成仏の根本であり、本宗信仰の基本中の基本です。

 総本山26世日寛上人は、「本門戒壇の本尊は正応元年冬の比、彼の身延を去って此の富山に移る。蓋し是れ意有らんか。凡智の能く測る所に非ず。既に是れ富山は本尊所住の処なり」 (法華取要抄文段・文段543㌻)

と仰せです。意訳をしますと、「本門戒壇の大御本尊様は正応元年(1288年)の冬のころ、謗法となった身延の地を去ってこの富士大石寺に移られました。思いますに、是のことは深い意味があるのでありましょう。凡夫の智慧であれこれ言うべきことではありません。確かなことは、本門戒壇の大御本尊は富士大石寺に御座しますことです」となります。

 また次のようなお言葉もございます。

 「一器の水を一器に瀉すが如く三大秘法を付属なされて大石寺にのみ止まれり。(乃至)志有らん人は登山して拝し給へ(中略)其の三大秘法の住する処こそ何の国にてもあれ霊山会上寂光の浄刹なるべし」(寿量演説抄・歴全4-145㌻)

と。仰せの意は「日蓮大聖人から代々の御法主上人が受け継がれた三大秘法は、一つの器から一つの器に水を移すように固く守られ、大石寺だけに伝えられております。(中略)成仏を遂げたいという志のある人は、富士大石寺に登山をして三大秘法総在の大御本尊様を拝しなさい。三大秘法の御本尊様が御座します処は何れの国であつても仏国土です」というものです。

 日寛上人が御指南くださるように、私たちの総本山富士大石寺に登山参詣することの意義は深く尊いものです。

○総本山に登山参詣して大御本尊様に御目通りをすることは、功徳の源、折伏の活力になります。

 90歳で三度も佐渡から大聖人様のもとに足を運んだ阿仏房の夫人である千日尼に与えられた御文の中に、

 「阿仏上人は濁世の身を厭ひて仏になり給ひぬ。其の子藤九郎守綱は此の跡をつぎて一向法華経の行者となりて、去年は七月二日、父の舎利を頚に懸け、一千里の山海を経て甲州波木井身延山に登りて法華経の道場に此をおさめ、今年は又七月一日身延山に登りて慈父のはかを拝見す」 (『千日尼御返事』1,478㌻)

とあります。父阿仏房が大聖人様を末法の御本仏と固く信じ、登山参詣に励んでいたことを目の当たりにしていた子の藤九郎守綱は、お父様のお骨を大聖人様のもと埋葬することが最高の親孝行になる、と御遺骨を首に懸けて佐渡から登山参詣をしたのです。

 父親の阿仏房が90歳を越えた身でありながら、5年の間に3回も登山をした。母親も留守を守り道中の安全を祈り一心にお題目を唱えていた。そんな両親の姿を見ていた子が、父親亡き後は「今後はお父さんに代わって私が大聖大様のもとに足を運ぼう」と信心を受け継いだのです。

 大聖人の許から帰ってきた父親は、大聖人の信心をする素晴らしさや、大聖人のもとで過ごした数日のことを妻の千日尼や子の藤九郎守綱等に語って聞かせました。深い谷川に下りて水を汲み大聖人にお供えしたこと、山に入って薪をとってきたこと、お経文の意味を直々に賜ったことなどです。また道中での苦難も、大聖人のお顔を拝見したならばたちまちに氷解したことや、二度三度と足を運ぶ気持ちも残らず話して聞かせた事と拝察されます。子の守綱は親の阿仏房の素直な信仰心に感じ入り、自らも跡を継ごうと決意を新たにしたのです。父の遺骨を首にかけ遙々大聖大様のもとへ足を運ぶ、しかも一回だけではなく翌年も訪れる親孝行な姿に「子にすぎたる財なし、子にすぎたる財なし」と大聖人様は讃歎されております。

 この阿仏房夫妻の姿は法統相続ばかりか折伏にも通ずるものです。総本山への登山参詣を語ること、行き帰りの道中のこと、総本山でのこと、御開扉のこと、お弁当が美味しかった、遠くから登山されていた方のこと等々包み隠さずに語りましょう。

 御開扉を受けた私たちの身と心は、罪障消滅の叶った素敵な身と心です。真っ直ぐな身と心で大聖人様のこと、御本尊様のこと、功徳のことをお話しするのですから相手に通じないはずはありません。

 換言すれば、大聖人様に御目通りをすることは折伏の源泉になる、ということです。罪障消滅の功徳こそが折伏につながります。折伏をすることでさらに罪障が消滅します。

 大聖人様の「参詣遥かに中絶せり。急ぎ急ぎに来臨を企つべし。是にて待ち入って候べし」・「毎年度々の御参詣には、無始の罪障も定めて今生一世に消滅すべきか」。日寛上人の「志有らん人は登山して拝し給へ」を伝えてまいりましょう。総本山への登山参詣は折伏の一番の力になります。

 4月2日から始まります佛乘寺講中登山の日程は受付に掲示しております。総本山に参詣して罪障消滅の功徳を受け、受けた功徳を未だ信仰に縁のない方々に分け与えてまいりましょう。

 花の便りも聞かれる良い季節を迎えます。お寺の杏は今年も花を咲かせるだろうか。ハナミズキは大丈夫だろうか、とこの時期になりますといつも心配をしております。檀信徒のお題目を聞いているのだから大丈夫、と言い聞かせております。

 今年も綺麗な花で私たちを楽しませてくれることと思います。楽しみにご参詣下さい。寒暖の差が大きい季節です。コロナもまだまだ安心できません。その上花粉症も加わり日々ご苦労なことと存じますが、御本尊様の御加護を信じて精進をいたしましよう。

(朔日講〔聖寿802年3月1日〕にて)