
『宗祖御遷化記録』弘安5年10月16日 (御書1,863㌻ )
イ)ー、弘長元年辛酉五月十二日、伊豆国に流され御年四十 伊東八郎左衛門尉に預けらる立正安国論一巻を造り最明寺入道に奉る故なり。
同三年二月廿二日、赦免。
ロ)ー、文永八年辛未九月十二日、佐土が島に流され御年五十 武州の前司に預けらる極楽寺長老良観房の訴状に依るなり。訴状は別紙に在り。
同十一年甲戌二月十四日、赦免。
ハ)同五月十六日、甲斐国波木井の身延山に隠居す 地頭南部六郎入道。
ニ)ー、弘安五年壬午九月十八日、武州池上に入御 地頭衛門大夫宗仲。
ホ)同十月八日、本弟子六人を定め置かる 此の状六人面々に帯すべし云々。日興一筆なり。
定
ー、弟子六人の事 不次第
ー、蓮華阿闍梨 日持
ー、伊与公 日頂
ー、佐土公 日向
ー、白蓮阿闍梨 日興
ー、大国阿闍梨 日朗
ー、弁阿闍梨 日昭
右六人は本弟子なり、仍って向後の為に定むる所、件の如し。
弘安五年十月八日
ヘ)同十三日辰の時、御滅御年六十一 即時に大地震動す。
ト)同十四日戌の時、御入棺日朗日昭 子の時、御葬なり。
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《御書と絵の解説》
『宗祖御遷化記録』は大聖人様の御入滅前後を、第二祖日興上人が書きとどめられたものです。今回掲載いたしましたところには、イ)伊豆への御流罪は『立正安国論』を御認めになり北条時頼を諫言したことによる。ロ)佐渡への御流罪は、極楽寺良観が訴え出たことによる。 ハ)身延への御入山。ニ)弘安5年9月18日に池上邸に到着されたこと。ホ)10月8に本弟子6人を御定めになられたこと。ヘ)13日辰の時 (午前 8時頃)の御入滅、その時には、「大地震動」つまり、仏様が出現される吉兆である「地動瑞」が表れたこと。ト)14日の戌の時(午後8時頃)に御入棺、同日子の刻(夜中の12時頃)にお葬式が執り行われたことが記されています。
絵には、日興上人を始めとするお弟子やご信徒がお題目を唱える中で、滅に非らざる滅を現し、滅に即して三世常住のお姿の大聖人様が描かれております。
本年の 11月 4日・ 5日の両日は佛乘寺の御会式です。前述しました「非滅現滅」の妙相を寿ぎ奉る本宗で最も大切な法要です。檀信徒御ー同には、信心を奮い越して御宝前に足を運び、大聖人様の御遺命である、広宣流布を目指して精進することをお誓いしましょう。
(広布唱題行〔聖寿802年10月1日〕にて)