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「日興遺誠置文」

広布唱題行 (聖寿803年6月2日) 『日興遺誠置文』

富士の立義(りゅうぎ)聊(いささか)も先師の御弘通に違せざる事 (新編御書・1,884㌻)

 今月の十七日は、総本山第六十二世日恭上人の祥月御命日です。日恭上人は太平洋戦争の最中に、戦争を遂行するための国策として、言論や出版の統制ばかりか、個々人の信仰にまで国家権力が介入するようになった時に、正法正義を護り伝える上から、不惜身命を貫かれた御法主上人です。

 昭和十五年に軍部・文部省が、一宗祖一宗派を打ち出しました。日蓮正宗に対しても、身延派を含む他の日蓮宗各派と合同をするように、と命じてまいりました。しかし、謗法と化した身延派等と合同をすることは、大聖人、日興仁人の御遺命に背くことであり、合同はしない、と毅然たる態度を示されました。多くの宗派が軍部を恐れて合同したのとは反対に、日蓮正宗は軍部を向こうに回して一歩も引かず、独立を認めさせ大御本尊様を謗法の手から御護りされた時の御法主上人が日恭上人です。

 軍部・文部省は単独認可を認める条件として、種々の難題を示してきました。その一つに、教育機関の設立がありました。信教の自由が認められていない時代、折伏を大々的にすることも叶わず、また、謗法厳誠の宗旨故、僧侶も信徒も決して多いとは言えない日蓮正宗にとっては非常に重い事柄でありました。軍部や文部省はそれができなければ合同をさせる、という策略でした。ところが、日恭上人は正法を守り次に伝える、という唯授一人のお立場から、見事に教育機関の設立を果たされ、その他の難問も全て乗り越えて日蓮正宗の独立を護られたのです。

 現在、総本山の法祥園があるところに、古い木造の校舎があったのを御存事の方も多いと思います。あの校舎は、単立を勝ち取るために急遽建てられた富士学林中学です。日蓮正宗の教育機関としての役割を担ったものです。

 正法広布こそ世界平和実現の唯一の道であることを日恭上人は命懸けで示して下さっているのです。日恭上人をはじめ、当時の僧侶と信徒が心を合わせて苦難を乗り切って下さったからこそ、今日、私たちが大御本尊様に御目通りが叶い、罪障消滅の修行に励むことが出来ることを忘れてはなりません。

 歴史は繰り返す、といわれます。八十年前と同じような状況にならないとも限りません。このような時代ではありますが、大御本尊様を固く信じ、大聖人様以来の唯授一人の血脈を所持される御法主上人の御指南のままに素直で正直に進むことにより、必ず道は開かれます。

 『立正安国論』の精神を高く掲げ、絶対平和主義を堂々と貫かれた日恭上人のお振る舞いを拝し、私たちも何事にも恐れず、誇りある法華講衆として自行化他の修行に励むことで、我が身も周囲も護られるようになります。信じて進みましょう。

 以下に、当時の日恭上人のお姿を述べた文章があります。参考のために挙げておきます。熟読吟味しましょう。

「貌下(日恭上人)は、お一人で文部省を訪れた。身延との合同問題が、国家権力の弾圧の下に、実行に移されるばかりになっていた。貌下は、単身、当局に向かって『合同、不承知』をば厳然と宣言して帰られたのである。日蓮大聖人の、正法正義を継承する本宗は、断じて、邪宗邪義たる身延をはじめ、いかなる宗とも、絶対に合同はせぬと。たとい今、頸を斬られてここに死すとも合同はせずと叫ばれて、ここに正宗の法水を護り抜かれて帰られた。実に、日蓮大聖人の、幕府権力に対決した時のお姿が、そのまま拝されるのである」  (『小説人間革命』一巻266頁)

(広布唱題行[聖寿803年6月2日]にて)