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「聖人知三世事」

朔日講拝読御書〔聖寿803年7月1日〕

『聖人知三世事』 文永11年11月 53歳 御書748㌻ 9〜10行目

予は未だ我が智慧を信ぜず。然りと雖も自他の返逆・侵逼、之を以て我が智を信ず。敢へて他人の為にするに非ず。又我が弟子等之を存知せよ。日蓮は是法華経の行者なり。

〔仏様の知恵〕

日蓮は我が智慧を信じるわけではありませんが、『立正安国論』で予言した、「自界叛逆難」と「他国侵逼難」が的中したことで、我が智慧を信じるのです。自慢をするのではありませんが、この予言の的中は、日蓮が法華経の行者であることを証明するものである、と我が弟子たちは心得るべきです。

〔解説〕

 先月に続いて富木常忍に与えられた御書です。御眞蹟は中山法華経寺にあります。題号の「聖人知三世事(しょうにんちさんぜじ)」を書き下しますと「聖人は三世を知るの事」になります。冒頭に「聖人と申すは委細に三世を知るを聖人と云う」とあることから、この題号が付けられました。現在はもちろんのこと、過去世のことも当来世(とうらいせ)のことも知るのが聖人である、ということです。漢文の当来世を読み下しますと、当(まさ)に来(きた)るべき世(よ)で、未来のことです。

 御本尊様の右の方に「為現当二世」と認めて下さるのは、御本尊様を受持する私たちの、現世と当来世の両方を見守って下さる御本尊様です、との意義を込めて下さっているとありがたく拝します。

 総本山第26世日寛上人は、『立正安国論』を御講義なさった『安国論愚記』に、

三略の下に云く『賢去れば則ち国微(おとろ)え、聖(せい)去れば則ち国乖(そむ)く』と已上。世間の聖人(せいじん)猶(なお)爾(しか)なり。況や出世の聖者をや。今はこれ出世の聖人(しょうにん)なり」(文段集9㌻)

と記されております。

 「三略」は中国の兵法書です。この「賢人が去れば国力が衰退し、聖人(せいじん)が去れば他国の侵略を受けるようになる」を引用され、現世だけを見ても賢人や聖人の果たす役割の大切なことが明らかである。まして三世を考えると、聖者(しょうじゃ)がいかに重要であるかを知ることができる。末法の今、これ(日蓮大聖人)は聖人である、と御指南下さつております。

 ここで日寛上人は、聖者(せいじゃ)と聖者(しょうじゃ)、聖人(せいじん)と聖人(しょうにん)を使い分けておられることに気づかれたと思います。因みに広辞苑では次のように解説しております。

<聖人・しょうにん>〔仏〕①悟りを得た人。仏・菩薩を指す。 <聖人・せいじん>①〔易経(乾卦)〕知徳が最もすぐれ、万人が仰ぎ崇拝する人。特に、儒家で理想の人物とする堯・舜・孔子などの称。②カトリックや東方正教会において、殉教者や特に信仰と徳にすぐれた信徒として崇敬されるもの】

 読み方で意味が違う例です。日本語は面白いですね。また深いですね。

〔御本仏のお立場をより明らかにされる御文〕

当抄を御認めになられたのは、身延に入られて5ヶ月後の文永11年11月です。この年の3月に佐渡を出発され、4月に鎌倉で、幕府の警察・軍事・治安維持等を担う侍所所司・平頼綱に対面し、念仏宗などの教えを破折されました。これが第3回目の鎌倉幕府に対する折伏です。1回目は文応元年の7月16日に、『立正安国論』で執権北条時頼を折伏したこと、2回目は文永8年9月12日の竜の口法難の折りに、平頼綱を通してしたものです。このことを『撰時抄』で、

余に三度のかうみゃう(高名)あり」 (御書867㌻)

と記されております。幕府に対する直接の折伏を、大聖人様は「余が高名」と仰せです。このお言葉は、広宣流布に身を捧げることは仏道修行の名を高めることになり、折伏こそが成仏への道であることを示されたものです。折伏を忘れずに日蓮大聖人様より、「貴方の高名は折伏の修行ですね」と誉めていただけるようになりましょう。今世の名聞名利は来世に持ち越すことはできません。しかし、折伏の高名は来世では功徳となって我が身を飾ります。

 私たちの周りには、御本尊様を受持しない人でも、徳が備わり恵まれた環境にある方は大勢おります。前世での高名かも知れないと羨ましく思う時もあります。ところがこの姿を仏様が教えて下さる三世の鏡に映したとき、現世での幸福そうな姿は暗転し、来世での苦しみの姿に変わります。反対に、迷いや苦しみの多い私たちであっても、現世での仏道修行において高名を得ることで、来世が安穏になることは疑いありません。大聖人様が「法華経の信仰は折伏第一である。誤った各宗各派の教えを破折することにある」と「法華折伏・破権門理」(『上野殿御返事』 御書1,359㌻)の旗を高々と掲げ、日興上人は「未だ広宣流布せざる間は身命を捨てゝ弘通を致すべき事」(『日興遺戒置文』 御書1,884㌻)と、過去世からの罪障を消滅し、成仏の境遇を開き、幸せで満ち足りた現世を築くために折伏の修行に励もうではありませんか、と導いて下さっております。

 総本山26世日寛上人は

私に云く、常に心に折伏を忘れて四箇の名言を思わざれば、心が謗法に同ずるなり。口に折伏を言わざれば、ロが謗法に同ずるなり。手に珠数を持ちて本尊に向わざれば、身が謗法に同ずるなり。故に法華本門の本尊を信じ、本門寿量の本尊に向い、口に法華本門寿量文底下種・事の一念三千の南無妙法蓮華経と唱うる時は、身口意の三業に折伏を行ずる者なり。これ則ち身口意の三業に法華を信ずる人なり

と示されます。

 江戸時代の厳しい宗教政策で、民衆は自由に宗派を選ぶことができませんでした。このような悪しき檀家制度の中でも、「折伏を忘れてはなりません」との日寛上人の仰せを守り、法華講衆は広宣流布を目指して精進を重ねておりました。これが日蓮正宗富士大石寺の信仰です。総本山67世日顕上人は「一年に一人以上の折伏をしましょう」と御指南下さり、68世日如上人は「日蓮正宗から折伏をとったら日蓮正宗ではない」と導いて下さいます。

〔法華経の行者〕

 大聖人様が「高名」であると宣言されるのは「日蓮は是法華経の行者」だからです。

 法華経の行者は、法華経の教えの通りに修行をする者のことです。法華経を受持して法華経を弘める人のことです。釈尊が法華経を説き人々を導いたのも法華経の行者としての姿です。法華経常不軽菩薩品第二十に説かれる不軽菩薩が、杖で打たれ石を投げつけられても怯むことなく、すべての人々に仏性があると礼拝修行をしたのも法華経の行者故です。像法時代の中国・唐代の天台大師や、平安時代の伝教大師も法華経の行者です。末法には日蓮大聖大様が出現されて、法華経独一本門の南無妙法蓮華経を説き弘める御化導の上に、末法の法華経の行者のお姿が拝されます。『撰時抄』で、

日蓮は日本第一の法華経の行者なる事あえて疑ひなし」 (御書864㌻)

と仰せになり、『御義口伝』には、

無作の三身とは末法の法華経の行者なり。無作三身の宝号を南無妙法蓮華経と云ふなり」 (御書1,765㌻)

とあります。御文の無作有作に対する言葉で、本来の姿そのままの意味です。何が本来の姿かと云いますと、御身に①法身(御悟りになられた真理そのもの)、②報身(真理を御悟りになられた御身そのもの)、③応身(衆生を導く慈悲のことであり、衆生の願いに応じて出現する身)の3種類の仏様の身(三身)を具えているお姿が無作である、ということです。つまり、無作の三身は末法の法華経の行者のことであり、末法の法華経の行者の御名(宝号)を南無妙法蓮華経というのです。二座の御観念文に「南無本因妙の教主・一身即三身、三身即一身・三世常恒の御利益・主師親三徳・大慈大悲・宗祖日蓮大聖人」を思い浮かべて下さい。

 したがいまして「法華経の行者」は末法の御本仏の異名であり、日蓮大聖大様の御事を顕す言葉なのです。末法で法華経を信じ折伏をする私たちも、法華経の行者ではありますが、それは総体的に使われる言葉であって、別しては日蓮大聖大様の御身に使う言葉であることを忘れないようにいたしましょう。

 次頁に『聖人知三世事』の御眞蹟の写しを掲載しました。ここに挙げましたのは第三紙と第四紙です。青字の箇所を見ていただくと「日蓮は是法華経の行者也」と、「日蓮は一閻浮提第一の聖人也」と御認めになっているのがおわかりになると思います。

 私たち法華講衆は、「末法の法華経の行者」を信ずる者です。「一閻浮提第一の聖人」の弟子檀那です。「三度の高名」を受け継いでいる私たちです。誇りと自信を胸に、『立正安国論』を著され、鎌倉幕府の執権・北条時頼を折伏された意義ある7月を闘ってまいりましょう。

(朔日講〔聖寿803年7月1日〕にて)