広布唱題会拝読御書 平成27年11月1日
『四信五品抄』 (新編御書・1,114頁)
問ふ、其の義を知らざる人唯南無妙法蓮華経と唱へて解義の功徳を具するや不や。答ふ、小児乳を含むに其の味を知らずとも自然に身を益す。耆婆が妙薬誰か弁へて之を服せん。水心無けれども火を消し火物を焼く、豈覚あらんや。(乃至)
初心の行者は其の心を知らざれども、而も之を行ずるに自然に意に当たるなり。
(意訳)
質問致します。南無妙法蓮華経の意味を知らない人が、お題目を唱えるだけで功徳を得ることができるでしょうか。
答えます。赤ん坊が乳を与えられたときに、乳の味(滋養)をしらなくても、自然に成長しております。耆婆という名医が処方する万能薬の効能を理解してから服用する人はおりません。水や火には心はありませんが火を消したり焼いたりする用きがあります。水や火はそのことを知っているでしょうか。(中略)
信仰を始めたばかりの人が、南無妙法蓮華経の意味を知らなくても、お題目を唱えることで、いつの間にか仏の心を我が心とすることができるようになるのです。
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(解説)
この『四信五品抄』は数ある御書の中でも特に大切である十編の中の一つ、「十大部」に数えられております。大聖人様56歳の建治3年(1277年)4月10日、身延の山中から下総の富木常忍に与えられました。またこの御書の別名が「末代法華行者位並用心事」と云われることからもわかりますように、末法で南無妙法蓮華経とお題目を唱える私たちの位とその修行の心構えが説かれております。その位と修行を、特に法華経分別功徳品第十七に説かれる「四信五品」の、「一念信解・初随喜」を通して御教示です。「一念信解」とは仏様の教えを信じたその瞬間に教えを理解し、仏様の修行に励むことです。「初隨喜」は、この御書では「初隨喜の行者」のことで、初めて仏様の教えを聞き喜びの心をおこして信仰に励む私たちのことである、とお示しです。
さらにいうならば、「一念信解」は本門戒壇の大御本尊様を疑わずに信ずることであり、「初隨喜」とは、その信仰に大きな喜びの功徳が具わることです。つまり、釈尊在世の人々や、天台や妙楽が活躍した時代の人々のように、仏法への深い理解のない末法の私たちであっても、大御本尊様への強い信があれば即身成仏の大功徳を受けることができる、と教えて下さる御書です。
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《信頼される人に》
お母さんのお乳を飲む赤ちゃんが、「この母乳には、タンパク質やアミノ酸・脂質もビタンミンや糖質も」と理解することなく母乳の用きで成長する例を挙げて、私たちに、「無疑曰信」を教えて下さるものです。疑わないことが信であり、大聖人様の御言葉を信ずれば、自然に成長できる、と心に刻みましょう。
また、大御本尊様を持つ私たちは、親の立場にあるといえます。赤子がお母さんを疑うことがないように、子の立場にある未入信の人々に信頼される人になることが折伏を叶える秘訣です。私たちは幸いに疑わない信があります。ゆえに、信頼される人になることができます。「信頼される私」を思い描き、自行化他の精進を。
(広布唱題会[平成27年11月1日]にて)