• 東京都杉並区西荻窪の「日蓮正宗佛乗寺」の法華講が運営するWeb Pageです。Web Page「日蓮正宗向陽山佛乗寺」(http://www.butujoji.jp/)は、姉妹サイトとなります。

「阿仏房御書」

『阿仏房御書』 文永12年3月13日 54歳 (御書793㌻)

多宝如来の宝塔を供養し給ふかとおもへば、さにては候はず、我が身を供養し給ふ。我が身又三身即一の本覚(ほんがく)の如来なり。かく信じ給ひて南無妙法蓮華経と唱へ給へ。

=御本尊様を御護りすることが我が身を護ることになる=

多宝如来の宝塔(御本尊)に御供養するように思っているかも知れないが、そうではない。我が身を供養しているのである。何故ならば、我が身は三身即一身の本覚の如来だからである。このように信じて南無妙法蓮華経と唱えなさい。

【阿仏房・千日尼】

大聖人様が佐渡に配流になった当時の佐渡は念仏者の勢力がことに強く、「念仏宗の信仰では無間地獄に堕ちる」と念仏宗を破折する大聖人様に対する風当たりは想像を絶するものがありました。その中でもとりわけ強盛な念仏信者の老夫妻が阿仏房とその妻、千日尼でした。

阿仏房夫妻は、大聖人様に対して、阿弥陀仏を冒涜する悪僧との想いから、激しい憎悪を懐いていたことと思われます。しかし、大聖人様の御慈悲溢れる尊容を拝し、さらに理路整然とした法門を聞いて、阿仏房は深く心を打たれ、夢から醒めるようにその場で念仏を捨て、大聖人様に帰依しました。

妙法の信者となった阿仏房は、早速、妻千日尼を入信させ、夫妻ともに唱題に励むかたわら、大聖人様を御護りするために、人目をしのび命懸けのお給仕をしました。その時の様子を『千日尼御前御返事』には、

「地頭や大勢の念仏者等が日蓮の庵室に昼夜に見張りを立て、通う人を妨げておりました。そのような中で、千日尼は阿仏房に食べ物などを背負わせて、夜中に度々訪ねてくださった厚い御志を生涯忘れることはできません。私の母が佐渡の国に生まれ変わったのではないかと思うほどです(趣意)」 (御書1,253㌻)

と述べられております。

阿仏房夫妻に対して、大聖人様のお母様が佐渡の国に生まれ変わり、助けてくれたのではないか、と仰せられて深い感謝のお言葉が記されております。

さらに『千日尼御前御返事』には、

「大聖人の信仰をしていることである者は所を追われ、ある者は罰金刑になったり、ある者は住居を奪われた(趣意)」 (御書1,253㌻)

とありますことから、阿仏房夫妻を始めとする佐渡の法華講衆に理不尽な迫害が加えられたことがわかります。

そのような障魔に負けることなく阿仏房夫妻は大聖人様への信仰をますます強くいたしました。

「5年の間に佐渡から3回も夫を使わされた信心のお志は、大地よりも厚く大海よりも深いものです(趣意)」 (『千日尼御前御返事』御書1,253㌻)

と、大聖人様のもとに足を運んだ夫阿仏房の信心も素晴らしく、危険な道中の無事を御本尊様の前で祈りながら留守を守る千日尼の信心も又素晴らしいと、最大限のお言葉で賛嘆下さっております。

【宝塔への御供養】

当抄の冒頭で、

「御文委しく披見いたし候ひ畢んぬ。抑宝塔の御供養の物、銭一貫文・白米・しなじな(品品)をく(贈)り物、たしかに受け取り候ひ畢んぬ。此の趣き御本尊法華経にもねんごろに申し上げ候」

とありますように、阿仏房が佐渡から大聖人様に御供養をお送りしました。御文の「品々の贈り物」はどのような御供養だったのでしょうか。佐渡の島で採れた干しワカメなどもあったのではないかと想像します。大聖人様は千葉の海辺のお生まれですから、所は違っても海産物を好まれたのではないかという連想です。

ここで不思議に思うことがあります。それは「宝塔の御供養」と「御本尊法華経にもねんごろに申し上げ候」と同じ阿仏房からの御供養を、二通りに述べられていることです。

そこでその次を拝しますと、

「末法で法華経を持つ男女が宝塔である。貴賤上下なく南無妙法蓮華経と唱える者の身は宝塔である。法華経は宝塔であり南無妙法蓮華経が宝塔である。南無妙法蓮華経と信仰に励む阿仏房も宝塔である(趣意)」 (御書792㌻)

と、実にありがたい仰せがあります。阿仏房が法華経で説かれる宝塔のことを質問した答えとして、阿仏房さん、あなた自身が宝塔なのです、とのお言葉なのです。したがいまして、「宝塔の御供養」とわざわざ記された御意は、「あなた自身への御供養です」との意が込められているように私には思えてなりません。それをさらに強調されたお言葉が「多宝如来の宝塔を供養し給ふかとおもへば、さにては候はず、我が身を供養し給ふ」とのお言葉になるのではないかと拝します。

さらに当抄の次下に、

「あまりにありがたく候へば宝塔をかきあらはしまいらせ候ぞ」

とあり、阿仏房は御本尊様を御下附いただきました。御本尊様を御護りすることで我が身を護ることになるのです、と信心を励まして下さるのです。

私たちは、阿仏房や千日尼のように、人目をしのんで外護の信仰に励んだり、家を奪われたり所を追われたりしてもなお強盛な信仰をすることはできないかもしれません。しかし、「末法で法華経を持つ男女が宝塔である。貴賤上下なく南無妙法蓮華経と唱える者の身は宝塔である。法華経は宝塔であり南無妙法蓮華経が宝塔である」とのお言葉は御本仏の絶対のお言葉であり不変です。御本尊様を御護りし、勤行や唱題行に励み、総本山や佛乘寺に参詣され、日蓮正宗の教えを周りの方々に伝える折伏の信仰は、阿仏房に勝るとも劣らないものであると信じます。「阿仏房さながら宝塔、宝塔さながら阿仏房」と励まして下さる大聖人様のご期待に応え、新緑の中での行動を飾ってまいりましょう。

【語句の意味】

多宝如来の宝塔=多宝如来は釈尊の説かれた法華経が真実であることを証明するために出現された仏です。釈尊が霊鷲山で法華経を説かれたときに、大地から金・銀・瑪瑙(めのう)・瑠璃(るり)・硨磲(しゃこ)・真珠(しんじゅ)・玫瑰(まいえ)の七種類の宝で飾られた宝塔が出現しました。その宝塔の中から、「釈迦牟尼世尊、所説の如きは、皆是れ真実なり(釈尊が説くことはすべてが真実です)」と多宝如来が大音声で述べ、釈尊の説法が真実であることを証明しました。その後宝塔が開き、多宝如来が釈尊に半座を譲り並んでお座りになり虚空会の儀式が始まりました。釈尊と多宝仏が並んでお座りになられたことを《二佛並坐(にぶつびょうざ)》といいます。このことは、法華経見宝塔品第十一に説かれております。

供養=梵語ではpūjanā(プージャナー)。仏法僧の三宝に食べ物や飲み物や財物などを供えること。(→「供養について」参照)

さにては=さ(然・副詞)さは上の言葉を受けて、その事態を指し示す語。そう、そのとおりの意。前の文章や語句を受けたり、人のことばを指して言う場合が多い。「にて」に続く「候はず(そうではありません)」を断定する語。

=断定の助動詞「なり」の連用形

=丁寧語 

=連用形・副詞などを受けて強調し、打ち消しまたは逆接の表現に続く。

=打ち消しの助動詞

「さにては無くして(そうではなく)」(『四条金御殿御返事』775㌻)と述べられる御書もある。

三身即一の本覚の如来=三身即一身は、法身・報身・応身の三身が一つの身に具えられていることをいいます。反対に一身に三身を具えられていることを一身即三身といいます。まったく同じ意味です。

二座の御観念文に「一身即三身、三身即一身」とあるのは、御本尊様が三仏のご当体であられることを顕しております。

総本山六十七世日顕上人は、経文や御書を示され、「日蓮大聖人こそ、真の寿量品の無作三身如来にてまします」と、三身を一身に顕されたのが人法一箇の御本尊様のことであると御指南下さっております。

本覚の如来は本仏の覚りのことです。私たちの信仰では、久遠元初の自受用報身如来の御覚りをいいます。

法身仏は宇宙全体に広く満ちている真理を本体とする仏です。したがって姿は見えません。また報身仏は、智慧を体とし、宇宙の真理を極めつくされ、その報いとしてのお姿を顕されたものです。その報身仏の慈悲から起こり、衆生の求めに応じて出現されたのが応身仏です。三仏とも三身ともいいます。

如来寿量品の「如来」とは、この三仏の中でも特に「報身仏」のことであると天台大師は文句の中で述べております。

ここで私たちが心得なければならないことがあります。それは、大聖人様が「宝塔さながら阿仏房、阿仏房さながら宝塔」、あるいは「我が身又三身即一の本覚の如来」と仰せ下さっていることを挙げて、「私は仏」と思ってはならない、ということです。御本仏と私は同じだ、平等なんだから、と思うと「増上慢」に堕ちます。理論上はその通りなのですが、この御文は、阿仏房・千日尼の信心を通して未来の私たちを大聖人様が励まして下さっているところで、そのようになれるように精進をしよう、と捉えるところだと思います。

当抄から学べること。

○信仰は自らのために自らが進んで行うものであること。

○自らの行である勤行や唱題行、御供養も登山も折伏の行動も、一切は自身を飾る貴い功徳となること。

○行動の結果として、我が身がかけがえのない身であることを知ることができること。

○かけがえのない身であることを知れば、他者も大切にできるようになること。

このように考えました。

◆供養について

供養について総本山二十六世日寛上人は、『妙法曼荼羅供養抄記』で次のように仰せです。

「供養」とは、弘四末五十八に云く「下を以て上に薦むるを供と為し、卑を以て尊を資くるを養と日う」等云云。文三三に云く「供養とは三業に通じて皆是れ供養なり。別して論ずれば、其の依報を施すを供養と名づく」等云云。「三業に通じて」とは、心に本尊を信ずるは意業供養なり。口に妙法を唱うるは口業供養なり。身に曼陀羅を礼するは身業供養なり。「其の依報を施す」とは即ちこれ四事供養なり。謂く、衣服・臥具・飲食・医薬等なり。

日女抄に云く「御本尊供養の御為に鵞目五貫・白米一駄・菓子其の数送り給び候い畢んぬ」云云。録内二十三三十八に「法華経の御本尊供養の御僧膳料米一駄・蹲鵄一駄(いものかしらいちだ)送り給び候ひ畢ぬ」云云。三業の供養肝心なり。 (日寛上人文段集 693㌻)

 日寛上人のお言葉を現代語訳いたしますと、

《「供養」について、『摩訶止觀弘決』には「下から上にさしあげることを供えといい、卑が尊の助けとなることを養という」とあります。また『法華文句』には「供養とは身と口と意の三種類の修行に共通するもので、いずれであっても供養となります。特に論じるならば、私たちの現在の境界に照らして施すことを供養と名付ける」とあります。私たちの立場からこの天台のいうことを解釈すると「三業に通じて」とは、心から御本尊を信ずることが「意業供養」です。南無妙法蓮華経と唱えることが「口業供養」です。御本尊の前に座り、手を合わせることは「身業供養」です。また「其の依報を施す」とは、四事供養のことです。四事供養とは①衣服(衣)②臥具(袈裟)③飲食(飲み物や食べ物)④薬などを供養することをいいます。

「日女御前御返事」に「御本尊への御供養として、鵞目五貫・白米一駄・菓子を、お便りに記されていた数量の通に賜りました」とあります。さらに、『本尊供養御書』には「法華経の御本尊への供養として、御僧膳料米一駄・蹲鴟一駄、お送り給わりました」とあります。身口意の三業からの供養が大切です」》

となります。

先月の御講では「事供養」と「理供養」のこと、また、「法供養」である折伏が大切であることを学びました。いずれも過去世からの罪障消滅を叶える仏道修行となります。

【語句の意味】

弘四末五十八=弘は『摩訶止觀弘決』の略称。中国天台宗の開祖天台大師が、法華経の深義である一心三観・一念三千を明らかにして、その一念三千の真理にいたる修行方法を説いた『摩訶止觀』に、同九祖・妙楽大師が注釈を加えたもの。引用された箇所は、『摩訶止觀弘決会本中』156㌻です。

上下=①空間的な上と下。②職務などの役職の上下。③封建社会での主君と臣下。④年長者と年少者。

=すすめる。さしあげる。たてまつる。そなえる。

卑と尊=卑は身分などが低いこと。いやしいこと。へりくだること。自分よりも後の世代にあたる子や孫など。尊は①身分の上の人。目上の人。たっとぶべき人。②仏。

=たから、財貨。たすける。助けとなるもの。(資益・師資「しし・先生、師匠」)

文三三=文は『法華文句』のことで中国天台宗の開祖、天台大師が法華経の一文一文を解釈したもの。引用された箇所は、『法華文句記会本上』306㌻です。

三業=身口意の三業のこと。業は作用、行為のこと。①身業(しんごう)は身体的な動作。②口業(くごう)は言葉で表すもの。③意業(いごう)は心の活動。

心の用きである意業が行動として表れることを身業、言葉として発せられるのを口業といいます。

この三種で人間のあらゆる行為が顕されます。したがって、悪業も善業も我が一念にあることを自覚することが大切です。思っていても行動にうつさなかったり口に出さない時もあります。反対に、思っていることと違う行為や発言になることもあります。しかし、それも意業なのです。心は不思議です。

このような三業が元になって積まれた罪障を消滅し、成仏の功徳を得る最も確かで確実な方法を大聖人様は『南条殿御返事』で次のように教えて下さっております。

「此の砌に望まん輩は無始の罪障忽ちに消滅し、三業の悪転じて三徳を成ぜん」

「此の砌」は、御書を御認めになられたときに大聖人様が御座しました身延山を指します。大聖人様の御魂が謗法の地となった身延を離れた現在は、大御本尊様御座します総本山富士大石寺です。つまり、大御本尊様に御目通りをすることで、無始の過去世からの罪障は即座に消え去り、凡夫の三業によって積み上げられた悪しき罪障が、法身〔仏の得た真理〕・般若〔真理を悟る智慧〕・解脱〔先の二徳が一つとなり生死の苦しみから解放された境界〕の三徳に転換され成仏の仏果を得ることができることを忘れないようにいたしましょう。登山参詣の功徳は偉大です。

日女抄=日女尼御前御返事。

録内二十三三十八=録内は『録内御書』のこと。江戸時代初期に148通の御書を版本にして出版された。その後、録内に収録されなかった御書259通が『録外御書』として出版された。版本は、活版印刷などが発達する以前の出版技術で、文字の一文字一文字を木の板に彫り、それに墨を塗り印刷したもの。録内御書の23巻の38㌻に『本尊供養御書』があります。私たちの御書では1,075㌻ 『南条平七郎殿御返事』です。

(朔日講〔聖寿801年5月1日〕にて)