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「開目抄」

拝読御書〔聖寿804年3月1日〕『開目抄』

文永9年2月 51歳 御書571頁

心地観経に云はく「過去の因を知らんと欲せば、其の現在の果を見よ。未来の果を知らんと欲せば、其の現在の因を見よ」

〔過去・現在・未来〕

心地観経には「あなたが過去にどのようなことをしたかを知りたければ、今のあなたの境遇を見なさい。また、未来のことを知りたいと思うのであれば、今、あなたがしていることを思いなさい」と説かれています。

〇心地観経=「大乗本生心地観経(だいじょうほんしょうしんじかんぎょう)」の略称。

 この経典の翻訳者は般若三蔵(はんにゃさんぞう)です。般若三蔵は西暦734年に罽賓(けいひん)に生まれました。罽賓はインドのカシミールやガンダーラと重なる地域にありました。英語名ではカピサ国というようです。唐代に中国に渡り『心地観経』の他に、『華厳経』、『大乗理趣六波羅蜜経(だいじょうりしゅろくはらみつきょう)』などを翻訳しています。空海が遣唐使として長安に留学していたときに、梵語の経典について教えたとされていますが、真意は不明です。罽賓はシルクロードにあり、大乗仏教の盛んな地でした。かの羅什三蔵もここで仏道修行に励み、後に秦国王の招きで中国に渡り、梵語で書かれた多くの経典を漢語に翻訳しました。私たちが朝夕読誦する『妙法蓮華経』の翻訳をしたことはよく知られています。

撰時抄』には、

六波羅蜜経は唐の半(なか)ばに般若三蔵此(これ)をわたす

(御書857㌻)

と般若三蔵の名が記されています。

【三世の因果】

 今月の拝読御書の『開目抄』は、私たち凡夫の目を開いて下さる御書です。凡夫の目を仏様の目にして下さる御書です。拝読の御文でも、天台大師の教えや、経文の『心地観経』を引用し、過去世・現世・来世の三世に暗い凡夫の目を開いて下さるのです。

 ここで引用した御文の直前に、「天台云はく、『今我が疾苦(しっく)は皆過去に由る、今生の修福(しゅふく)は報将来(むくい、しょうらい)に在り』等云云」と示されています。意は、今の私が受けている病の苦しみや悩みは、すベて過去世に犯した罪の結果です。現世での福徳を修める修行の報いは将来(らいせ)に受けることができる、というものです。

 それに続いて『心地観経』を引用され、現世だけを見る狭い考えから脱却して、三世の生命観を確立することを御教示です。

 来世はキリスト教をはじめとする邪教でも説きます。例えばキリスト教では、地獄や天国に生まれることをもつて死後の世界、来世とします。天国か地獄かの二元論です。そして、どちらかを決めるのは神のみである、という教義です。仏法で説く、過去世の因によって現世があり、現世の因により来世があり、しかもその生死を繰り返しながら未来永遠に続くことが明らかにされている生命論との違いです。

【三世一念】

総勘文抄』(御書1,412~3㌻)

過去と未来と現在とは三つなりと雖も、一念の心中の理なれば無分別なり

御文の一念は私たちの一瞬の心のことです。一瞬は一度瞬きをする時間です。その一瞬に過去・現在・未来が具わっている、別々にあるものではない、と教えて下さるのです。

 このお言葉から、現在の心の在り方が大切であることが分かります。今一瞬の生命に、過去が含まれ未来を決める力があるのです。三座の御観念文「南無本因妙の教主・一身即三身・三身即一身・三世常恒の御利益・主師親三徳・大慈大悲・宗祖日蓮大聖人」の御教えを私たちは信じ実践するのです。三世を知っていても、三世の仏様のことを知らなければ、絵に描いた餅と同様に、なんの役にも立ちません。

【現世を肯定することで、過去世も来世も共に肯定できる】

諸法実相抄』(御書667㌻)

日蓮は其の座には住し候はねども、経文を見候に少しもくも(曇)りなし。又其の座にもやありけん、凡夫なれば過去をしらず、現在は見へて法華経の行者なり、又未来は決定として当詣(とうけい)道場なるべし。過去をも是を以て推するに虚空会にもやありつらん、三世各別あるべからず。此くの如く思ひつヾけて候へば流人なれども喜悦はかりなし。うれ(嬉)しきにもなみだ(涙)、つら(辛)きにもなみだ(涙)なり

《現代語訳》

(釈尊と多宝如来が、末法に法華経を弘め、衆生を仏にするための話し合いをされた虚空会に)日蓮はおりませんでしたが、経文を見ますと少しの疑いもありません。また、その時の虚空会にあるいはいたのかも知れません。凡夫ですから過去のことを覚えてはおりません。ただし、現在のことはよく見えており、法華経の行者であることは間違いありません。また、未来は仏の道場に参詣することが決定しています。このようなことから、過去を推察してみますと、虚空会に列なっていたと思われます。何故ならば、過去と現世と来世は別々ではないからです。このように思いますと、現在の日蓮は流罪の身ですが、喜悦は計り知れないのです。

【まとめ】

 『四條金吾殿御返事』に、

法華経を持ち奉るより外に遊楽はなし。現世安穏(げんせあんのん)・後生善処(ごしょうぜんしょ)とは是なり」(御書991㌻)とございます。

 現世の安穏と来世の幸せは、御本尊様を受持することで叶えられる、との仰せは、わたしたちに「絶対的幸福境界」を教えて下さるものです。常に他と比べる相対の世の中で、日々の過不足に一喜ー憂する凡夫の心から、御本尊様を御護りして自行化他の南無妙法蓮華経を唱え、折伏を実践し、仏の心を少しでも現すことで「絶対的幸福境界」を得ることができると信じます。24時間それが続かないまでも、御本尊様の御前に手を合わせている一瞬でも、そのようになれたら一生成仏の功徳が受けられます。

花 粉症という「疾苦」にある皆さまにはつらい時期かとお見舞いを申し上げます。この現在の「疾苦」も過去世の因かも知れません。しかし現世の「修福」の報いは将来に受けられる、との教えを信じれば乗り越える事ができます。明日も将来に含まれます。現世の信心で、過去世を肯定できるように、未来を安心できるように精進を重ねましょう。

(朔日講〔聖寿804年3月1日〕にて)