文応元年7月16日 39歳 (御書250㌻)
速やかに対治を廻らして早く泰平を致し、先づ生前を安んじ更に没後を扶けん。唯我が信ずるのみに非ず、又他の誤りをも誡めんのみ。
【意訳】
速やかに謗法を退治して、国中が平穏になるようにしようではないか。正法の信仰で先ず現世を安らかにして、さらに来世を扶けようではないか。そのためには、この教えを自らが信仰するばかりではなく、誤った信仰をしている人々を折伏するだけである。
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文応元年(1260年)7月16日、時の執権北条時頼に宛てて『立正安国論』と名づけられた救世の一書が献上された。爾来766年の歳月がながれた。
750年の昔と令和の今。世相は云何。人心は云何。
大聖人は、
① 正しい教えを立てることにより国は安穏となる
② 国の安穏は民衆ひとりひとりの努力による
③ 決して国家が国民を幸福に導いてくれるのではない
と、御文を通してご教示下さる。
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古来より現代に到るまで、独裁者が民衆に塗炭の苦しみを与えはしたが真の幸福に導いた例はない。だが、我々は時として思い違いをする。国家が我々を導いてくれるものだと。
このような思いは、責任は為政者にあり、とする楽な生き方である。極論すれば、犬や猫と変わらない生き方ともいえる。飼い主に尻尾を振ってさえいればで良いのだから。そのほうが楽なのだから。
大聖人の信仰は我々に自立を促される。自立とは魂の確立である。魂の確立とは、我が己身に仏界が具わっている、と知ることである。自己の魂を確立してこそはじめて真の幸福が得られるのだと。そして、ひとりひとりの幸福が社会全体の幸福につながる根本であると。
九割九分の人々が幸福で、一分の人が不幸せな社会は幸福な社会とはいえない。法華経は十割の幸福を追求する信仰と言い換えることができる。法華経において、それまでは成仏が叶わない、とされていた二乗と女人の成仏が明かされた。方や現実の社会はどうであろうか。政治が悪い、官僚のせいだ、法律が間違っている等々。世の中が悪いのは全て他の責任にする傾向がある。仏法の因果律にあてはめれば見当違いも甚だしいものである。
大聖人は立正安国論の中で、幕府の信仰の誤りを破折されるとともに、私たちに、自らが賢明な眼をもち、自己を確立する、つまり、成仏の功徳を確信し、貴い人生を生き抜くことを教えられているのである。
21世紀の幕が開いて早くも4半世紀が経過した。しかし、世界はますます不安定な状況に向かいつつある。このようなときだからこそ、大聖人の立正安国の御教えがより一層重要になる。
我々法華講衆は、大聖人の御教えを正しく弘宣することの出来る唯一の和合僧団である。富士の貴い教えを世の中に弘める役目を担っている。
大聖人より唯授一人の血脈を御所持あそばされる日如上人の御指南のままに、立正安国の王道、すなわち折伏の道を歩もうではないか。
(広布唱題行〔聖寿804年7月6日〕にて)