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「法華初心成仏抄」

『法華初心成仏抄』 弘安元年 57歳 御書1,318㌻ 2~4行目
此の経を読まねどもかゝねども、身と口と意とにうけ持ちて、殊に口に南無妙法蓮華経と唱へ奉る女人は、在世の竜女・憍曇弥・耶輸陀羅女の如くにやすやすと仏になるべしと云う経文なり。

〔女人の成仏〕
法華経を読んだり書いたりしなくても、身と口と意で受持して、中でも口で南無妙法蓮華経と唱える女人は、釈尊在世の女人である、竜女や憍曇弥や耶輸陀羅女と同じように、やすやすと仏に成ることができます。このように、女人の成仏が説かれているのは法華経だけです。

〇身と口と意=身口意の三業のこと。身は身体的活動、口は言語的活動、意は精神活動のことで、私たち人界の衆生のあらゆる行為のことです。
〇在世=ここでは釈尊が法を説き人々を導かれていた時代を指します。「宗祖御在世」とは、大聖人様が人格を表されて三大秘法の南無妙法蓮華経を掲げて折伏を遊ばされていた時を言います。
〇竜女=八大龍王の一つで、竜宮に住む沙竭羅竜王(しゃかつらりゅうおう)の三女。蛇の身を持つ畜生界の衆生です。法華経提婆達多品第十二では、法華経が説かれる前の教えでは叶わなかった女人成仏を、竜女の姿を通して明らかにされました。(竜女と私たちの関係については聖寿803年12月の朔日講で学びました。当号8㌻のQRコードからご覧いただけます)
〇憍曇弥=釈尊の育ての親。釈尊が生まれて7日目に母親の摩耶夫人が死去したため、摩耶夫人の妹の憍曇弥が釈尊を養育しました。法華経勧持品第十三で「ー切衆生喜見如来」の記別を受けました。記別とは未来に仏に成ることが約束されたことを言います。
〇耶輸陀羅女=釈尊が出家する前の妃。法華経勧持品第十三で「具足千万光相如来」の記別を受け、憍曇弥と同じく成仏が約束されました。

《『法華初心成仏抄』について》
 『法華初心成仏抄』は弘安元年(1278年)、大聖人様が57歳の時、身延でお認めになり、駿河国・岡宮(静岡県沼津市)の妙法尼に与えられた、と古来より言い伝えられています。残念なことに、御眞蹟は伝わっておりません。

《問答形式で示された正しい仏法》
 冒頭から、「八宗・九宗・十宗と多くの宗派に分かれているが、どれが釈尊の立てたものであるか」(趣意・御書1,307㌻)との問いを設けられ、そのお答えとして、「法華宗が釈尊の立てた宗であり、法華宗だけが成仏の教えである」(趣意・同)と述べられました。
このように、「問うて云はく」、「答へて云はく」という問答の形式で記されております。

《末法に弘まる妙法とその功徳》
 次に、安然和上や恵心僧都、伝教大師など、日本天台宗の僧侶が書き残した言葉を引用し、末法の時代、日本の国こそが法華経の弘まる国であることを述べられています。
そのうえで、「法華経二十八品の肝心たる南無妙法蓮華経の七字計り此の国に弘まりて利生得益もあり、上行菩薩の御利生盛んなるべし」(御書1,312㌻)とされ、末法では南無妙法蓮華経が弘まり、利生(功徳)を受けられることが明かされています。

《よき師とよき法とよき檀那》
 また、「よき師とよき檀那とよき法と、此の三つ寄り合ひて祈りを成就し、国土の大難をも払ふべき者なり」(御書1,314p㌻)と、願いの多い私たちを励まして下さる御文もあります。
よき師」であられる日蓮大聖人・日興上人・代々の御法主上人のもと、「よき法」である三大秘法の南無妙法蓮華経と、「よき法」を受け持ち、「よき法」を弘めることを固く誓う「よき檀那(私たち檀信徒のこと)」の三つが揃っているのだから、願いは必ず叶う、と御本仏の大確信をお示しくださいます。願いは必ず叶うことは、「むりやりにでも妙法五字のことを話して持たすべきです(趣意)あるいは、むりやりにでも妙法五字の題目を聞かせるべきです」(趣意・御書1,315㌻)とのお言葉からも明らかではありませんか。
 願いが叶う信仰は折伏の信仰です。当抄の1,316㌻には、「法華経を強いて説き聞かすべし」・「仏の種は法華経より外になきなり」と、折伏を教えてくださいます。また、
譬へば人の地に依りて倒れたる者の、返って地をおさへて起(た)つが如し。地獄には堕つれども、疾(と)く浮かんで仏になるなり」(御書1,316㌻)とのお言葉もございます。折伏を受けた人が、反発し御本尊様や法華講衆のことを悪しく言ったことで、ひとたびは地獄界の苦しみを受けることになりますが、妙法を誹謗したことが縁となり、やがて成仏が叶うという教えです。大地につまずいて転んだ人は、ころぶ原因となった大地に手をついて起き上がります。折伏も同じ原理だと言うことですから、折伏のときに反発されても心配はないのです。それが縁となり成仏が叶います。自信をもって折伏に臨みましょう。
 「強く御本尊様のことを語って行きなさい。その時に成仏の願いが叶います」、「相手が地獄に堕ちたとしても、妙法に縁をしたことで救われます」等の励ましのお言葉を皆で胸に刻み、行動にあらわしてまいりましょう。

《折伏で受ける法難即安楽の功徳》
 ところが、仏様の教えのままに、法華経を持ち勧める人にたいしては、「世の人々は一人残ちず、悪んだり、嫉んだり、軽しめたり、賤しんだり、住む所を追い出したり島流しにしたり(趣意・御書1,319㌻)」します、しかし、このようなことは経文に説かれていることですから、妨害に打ち勝って折伏に励む人こそが、真実の法華経の行者であることも大聖人様は御教示です。

御義口伝』では、
妙法蓮華経を修行するに、難来たるを以て安楽と意得べきなり」 (御書1,763㌻)
とお示しです。妙法の修行には難(妨害)があることは想定内のことですから、難が競い起こっても、心は満ちたりて安らかになれる、このことを心得ていなさい、という御指南です。
 お題目を唱えると難が表れるのでは、お題目など唱えたくない、そこで、近づかないように、と考える人もいます。近づかなければ平穏にみえますが、しかし、それでは過去世の悪業を消すことはできない、というのが「難来たるを以て安楽と意得べきなり」の意味であると拝します。言うまでもありませんがこの「妙法蓮華経を修行する」は、自行化他の題目を唱えることです。自行は自らのため、化他は他の人々のため、つまり折伏です。折伏の実践によって様々な障害が生じるとき、それは過去世における悪業が消滅したことを意味すると解釈されます。このことを「安楽」と仰せです。難が起こったときこそ、本当の折伏をしたときであり、その時に罪障消滅が叶った、と心が満ち足りる、安らかで楽しみの心が出現するとの御指南であると拝します。

《我が身に具わる仏性を顕す御題目のカ》
 当抄の最後では、
口に妙法をよび奉れば我が身の仏性もよばれて必ず顕はれ給ふ」(御書1,321㌻)とお示しです。仏性は、すべての衆生に具わっている、「仏になることのできる基本的な性質」をいいます。残念なことに、凡夫である私たちは、我が生命に仏性が具わっていることに気づいておりません。気づいてはいなくとも、南無妙法蓮華経と唱えることで、仏になることができる、いつのまにか幸せになることができた、と気づきます。
 この気づきを「我が身の仏性もよばれて必ず顕れ給ふ」と仰せなのです。ただし、気づくだけでは仏ではありません。我が身は仏性を具えた尊い身であることを自覚し、その上で、
三世の諸仏の出世の本懐、一切衆生皆成仏道の妙法と云ふは是なり。是等の趣(おもむき)を能く能く心得て、仏になる道には我慢偏執(がまんへんしゅう)の心なく、南無妙法蓮華経と唱へ奉るべき者なり」(同)
との御教示のように、自行化他の南無妙法蓮華経を唱えることで、煩悩に覆われた凡夫の我が身を、光り輝かせる尊い身に変えてまいろうではありませんか。

【今月の拝読御書 女人もやすやすと仏になれる】
此の経を読まねどもかゝねども、身とロと意とにうけ持ちて、殊に口に南無妙法蓮華経と唱へ奉る女人は、在世の竜女・憍曇弥・耶輸陀羅女の如くにやすやすと仏になるべしと云う経文なり
 今月の拝読御書です。大聖人様はこのお言葉で、南無妙法蓮華経と唱える女性の成仏をお示しくださいます。この御文の前段には、法華経とそれ以前の経文を比べ、法華経こそが女人成仏を説き明かしたものであることを述べられます。
 法華経より前に説かれた経文には、女性の即身成仏については一言も説かれないばかりか、反対の不成仏が説かれていることを、「華厳経には『女人は地獄の使いなり、能く仏の種子を断ず。外面は菩薩に似て内心は夜叉の如し』と云へり」や、「銀色女(ごんじきにょ)経には(中略)『女人は永く仏になるべからず』」あるいは「又経に云はく『女人は大鬼神なり、能く一切の人を食らふ』」(御書1,317㌻で)等との経文を挙げて述べられています。
 しかし、妙法の五字を身と口と意で受持し、南無妙法蓮華経と唱える女性は、「やすやすと仏になるべし」と教えてくださいます。「やすやす」を漢字では、「易易・安安」と書きます。きわめて容易にものごとを行う、容易に事態が進展する、簡単等の意味です。大聖人様は、お題目を唱える女性が、間違いなく仏に成れる法華経の信仰であることを「やすやすと」のお言葉で表してくださいます。前後いたしますが、
此の経を読まねどもかゝねども」の「此の経」は申すまでもなく法華経であり、私たちの信仰では、三大秘法の南無妙法蓮華経です。次の「読まねども」は読誦、「かゝねども」は書写に相当します.。
 これは、法華経法師品第十に説かれる、①受持、②読、③誦、④解説、⑤書写の五種の修行をすることなく、ただ南無妙法蓮華経を身口意の三業で受持し、南無妙法蓮華経の御題目を唱える修行に、仏に成る・幸せになれる功徳のあることを教えて下さるものです。

《正しい御題目》
 日寛上人は『観心本尊抄文段』で、「但当流の口唱のみ本門事行の題目なり。これ即ちその法体は文底下種の法華経、独ーの本門、事の一念三千なるが故なり」(『文段集』282㌻)と仰せです。この「当流の口唱のみ本門事行の題目」とのお言葉で、身延日蓮宗や新興宗教の立正佼成会・創価学会などが唱えている南無妙法蓮華経と、私たち日蓮正宗の御題目の違いを教えてくださいます。私たちの唱える御題目は、日蓮大聖人様の出世の本懷である、本門戒壇の御本尊様を唯一の正法と信じて唱える御題目です。自己の都合で唱える題目と、仏様の教えてくださるままの御題目の違いです。
 日寛上人は、私たち末法の衆生が幸せになることができるたった一つの教えが、日蓮正宗の教えであることをこのようなお言葉で教えてくださっています。

《真の男女平等を実現するために》
 男女平等は皆願うことです。しかし、念仏や真言などの教えには、女性の即身成仏は一言も出てまいりません。女性も男性も分け隔てなく仏に成ることができない教えが広く社会に充満しているのですから、政府がいくらジェンダー平等と旗を振っても実現は難しいでしょう。ジェンダー平等を実現するためにも、日蓮大聖人様の教えを信ずるときである、と強く信じます。私たち法華講衆の役割は軽くありません。大聖人様のお使いである、との自覚も新たに、精進を重ねようではありませんか。

《実りの秋を》
 暑い日がまだまだ続きそうです。が、総本山の周辺の稲は酷暑にもけなげに立ち向かい、こうべが随分と垂れてきました。まもなく稲刈りの季節を迎えます。草花に負けないように、私たちも実りの秋を目指し、励んでまいりましょう。
 くれぐれも、体調に留意してください。檀信徒ごー同のご健勝をお祈り申し上げます。

(朔日講[聖寿804年9月1日]にて)