『寿量品』の御文
爾時佛告。諸菩薩及。一切大衆。諸善男子。
汝等當信解。如来誠諦之語。
復告大衆。汝等當信解。如来誠諦之語。
又復告諸大衆。汝等當信解。如来誠諦之語。
【書き下し文】
汝等當に、如来の誠諦の語を信解すべし。
又大衆に告げたまわく、汝等當に、如来の誠の語を信解すべし。
又復大衆に告げたまわく、汝等當に、如来の誠諦の語を信解すべし。
【意訳】
その時に仏は、菩薩をはじめとするすべての人々に次のように告げました。「諸の善男子よ、貴男達は心から如来の真実の言葉を信じるべきです。信じることにより理解することができます」と。また重ねて人々に告げました。「諸の善男子よ、貴男達は心から如来の真実の言葉を信じるべきです。信じることにより理解することができます」と。さらにまた重ねて人々に告げました。「諸の善男子よ、貴男達は心から如来の真実の言葉を信じるべきです。信じることにより理解することができます」と。
【解説】
寿量品の一つ前に説かれたのが従地涌出品第十五です。涌出品では娑婆世界以外の国土から集まって来た迹化の菩薩方が、釈尊が亡くなった後の世で折伏をしたいと願い出たことに対し、貴方たちには無理です、と制止され、滅後の折伏を命ずるために地涌の菩薩様を召し出しました。命を受けた上行菩薩・無辺行菩薩・浄行菩薩・安立行菩薩の四菩薩を代表とする無数の菩薩様方が、大地より涌き上がるようにして出現されたのです。大地から涌出しましたので「地涌の菩薩」とお呼びします。ところが上行菩薩様をはじめとする地涌の菩薩方は、師匠である釈尊よりも威厳をそなえておりました。
そこで迹化の菩薩方は、
「お釈迦様はお覚りを開かれて四十数年でこれほど多くのお弟子たちを導かれたのでしょうか」
と不思議に思いました。また、
「上行菩薩様たちのお姿を拝見するとお釈迦様よりも威厳があり尊く見えるのはなぜなのでしょうか」
と不思議が重なりました。
この質問に釈尊は、
「我久遠より来、是れ等の衆を教化せり」
と、仏の久遠の生命を略して説かれました。
これが「略開近顕遠・りゃっかいごんけんのん・ほぼ近を開いて遠を顕す」です。寿量品で説かれる「広開近顕遠・こうかいごんけんのん・広く近を開いて遠を顕す」に対することばです。「近」は始成正覚、「遠」は久遠実成です。
始成正覚は、釈迦族の王子として生まれ、19歳で出家して30歳で仏と成り、72歳から法華経を説かれた釈尊を、インドに出現して始めて正しい覚りを成じた仏のことを言います。一方、インドに生まれる遙か昔の久遠から仏であったことを顕かにされたのが久遠実成です。
この菩薩方の不思議を弥勒菩薩が代表して釈尊に質問をいたしました。御経文では、
『従地涌出品第十五』の文
我等従仏聞 於此事無疑 願仏為未来 演説令開解 若有於此経 生疑不信者
即当堕悪道 願今為解説 是無量菩薩 云何於少時 教化令発心 而住不退地
【経文の書き下し】
我等は仏に従って聞きたてまつれば 此の事に於て疑無し 願わくは仏未来の為に 演説して開解せしめたまえ 若し此の経に於て 疑を生じて信ぜざること有らん者は 即ち当に悪道に堕つべし 願わくは今為に解説したまえ 是の無量の菩薩をば 云何にしてか少時に於て 教化し発心せしめて 不退の地に住せしめたまえる
【通解】
この場にいる私たちは、「略開近顕遠」を聞きましたので疑うことはありません。この場にいない未来の人々のために、理解できるようにお説きください。仮にこの教えを疑うものがあれば、悪道に堕ちてしまいます。疑うことがないように教えの内容をお説き下さるようお願い申し上げます。
(地から涌出した)無量の菩薩方を、短時間でどのようにして教化し発心させ、不退転の境地に到達させたかを教えて下さるようお願い申し上げます。
以上のようなことから、寿量品の「諸菩薩及。一切大衆。諸善男子」は未来の私たちのことを指していると拝することができます。私たちを不退転の境地に導くために説かれた教えです。
汝等は皆さん、あなた方です。仏様が私たちに呼びかけて下さっているのです。どのように呼びかけて下さっているか、それが次の文です。
「信じることで如来の真実の教えを理解することができます」
と。同じ語を三回繰り返して述べられていることから、信の大切なることが拝されます。
因みに、如来は仏様のこと。誠諦は、永遠に不滅不変の真理、真実のことです。誠も諦もまことの意。誠はいつわりでないこと・ほんとう・明らか等の意。諦にはつまびらか・明らか・あきらかにする、さとる等の意があります。
大聖人様は信解について『御義口伝』で
信の処に解あり、解の処に信あり。然りと雖も信を以て成仏を決定するなり。今日蓮等の類南無妙法蓮華経と唱へ奉る者是なり云云。 (御書1,774㌻)
とご教示です。
御文を通解しますと次のようになります。
「信じることで理解できる。理解すればもっと深く信ずることができる。といっても根本は信ずることであり信ずることで成仏が決定する。いま日蓮等が南無妙法蓮華経と唱えることが信解である」
と。さらに、同じ『御義口伝』で、
信解の体は南無妙法蓮華経是なり (御書1,807㌻)
と、信解の本体が南無妙法蓮華経であることを示されております。
これらから、寿量品で説かれる「如来誠諦の語」、仏様の真実の語が南無妙法蓮華経であると拝することができます。
『方便品』の御文
止。舎利弗。不須復説。所以者何。仏所成就。第一希有。難解之法。唯仏与仏。乃能究尽。諸法実相
【書き下し文】
止みなん、舎利弗。復説くべからず。所以は何ん。仏の成就したまえる所は、第一希有難解の法なり。唯仏と仏とのみ、乃し能く諸法の実相を究尽したまえり
【意訳】
舎利弗よ、もう説くことは止めましょう。何故ならば仏が成就されたのは、最も希で難解の法だからです。唯仏と仏のみが、諸法の実相を究め尽くすことができるからです。
方便品では智慧第一の弟子である舎利弗尊者でも理解することができない、といわれ、説くことは止めましょうとまで言われております。それくらい難しいのが法華経の教えです。
仏と仏のみが極めることのできる教えですから当たり前と言えば当たり前です。文上の法華経であってもそうなのですから、末法の一切衆生を成仏に導く文底の教え「本地難思境智冥合の妙法」であればなおさらです。
総本山67世日顕上人は、
「釈尊はこの本地難思境智冥合の妙法を結要して地涌上行菩薩に譲られたのであり、その付嘱に基づき久遠元初下種の仏法を末法に顕し給う本仏こそ、実に宗祖日蓮大聖人であります。故に、大聖人の本門三大秘法の深義を信じ、その仏法の正しい筋道に則りて妙法を唱える人の意義と功徳は、無量無辺にして算数譬喩も能わざるところであり、即身成仏の要道は、ただこの一事に存するのであります」
(『寿量品説法増補版上』52㌻)と御指南下さっております。
日顕上人は「三大秘法の深義を信じ」と仰せです。仰せのように、私たちは幸いなことに、総本山に御安置申し上げる三大秘法総在の本門戒壇の大御本尊様を信じ、御法主上人の御教えのままに南無妙法蓮華経と唱えるばかりか折伏の修行に励んでおります。
信じることで御本仏の御覚りを我が覚りとすることができます。信ずれば覚れる、を心に、自他ともの成仏を目指しましょう。
(朔日講〔聖寿801年8月1日〕にて)