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『新尼御前御返事』

『新尼御前御返事』文永12年2月16日 54歳 御書764㌻ 18行目〜765㌻ 7行目

広布唱題行拝読御書(聖寿805年2月1日)

安房国東条郷は辺国なれども日本国の中心のごとし。其の故は天照太神跡を垂れ給へり(乃至)日蓮はー閻浮提の内、日本国安房国東条郡に始めて此の正法を弘通し始めたり。

【現代語訳】

故郷の安房国東条郷は、都から遠く離れた辺境の地ですが、実際には日本国の中心のような所です。なぜならば、現在は天照太神が住んでいる所だからです。(中略)日蓮は(末法の初めに)一閻浮提の中で、この日本国の、安房国東条の郡から、正法の弘通を始めました。

1.背景:安房東条郷と「名越の一門」

本抄は、大聖人様54歳の御誕生日の日付がある御書で、御真蹟が伝えられております。冒頭には、新尼と大尼が身延の大聖人様に「海苔」を御供養したことが記されています。大尼は、鎌倉幕府第2代執権・北条義時の次男である北条朝時の妻で、「領家の尼」とも呼ばれ、安房国東条郷に住んでいました。新尼は、朝時の子(光時・時章・教時のいずれか)の妻と伝えられています。北条朝時のー門は「名越殿」と称されており、仮に新尼が光時の妻であれば、鎌倉幕府の要人であった光時は、法華講衆である妻と家臣(四条金吾)に支えられていたことになります。

2.「不定な心」と「たゆまぬ信仰」の対比

当抄からは、次の2点を学ぶことができます。1点目は、御本尊様を受持できていることの幸せです。

当抄では、同じ一門の女性でありながら、御本尊様を「授与された新尼」と、「授与を保留された大尼」の対照的な姿が記されています。まず大尼については、「但大尼御前の御本尊の御事、おほせつかはされておも(思)ひわづら(患)ひて候(大尼が御本尊様の御下附を願っているが、思い悩んでいる)」(御書763㌻9行目)と、大聖人様が授与を躊躇(ちゅうちょ)されているお心が綴られています。その理由は、

領家はいつわりをろ(凝)かにて、或時は信じ或時はやぶる。不定なりしが日蓮御勘気を蒙(こうむ)りし時すでに法華経をすて給ひき(領家(大尼)は信心が不定で、竜の口の法難の時に退転してしまった)」 (御書765㌻ 8行目)

からです。

一方の新尼は、

御信心は色あらわれて候。さど(佐渡)の国と申し、此の国と申し、度々の御志ありてたゆむけしきはみへさせ給はねば、御本尊はわたしまいらせて候なり(貴女の信心は姿に表れています。佐渡の時も、今も、変わらぬ志でたゆむことがないので、御本尊を授与します)」 (御書765㌻ 14行目)

と、御本尊様を授与されております。ここで対照的なのは、二人の「心の定め方」です。難に直面して動揺し、信じたり疑ったりを繰り返す大尼の「不定な心」に対し、新尼の信仰は、いかなる逆境にあっても決して退かない「たゆむけしきのない信仰」でした。大聖人様は、目に見えない心根が、その振る舞いという「色(形)」に現れる厳しさを示されています。この二人の姿を通し、私たちは御本尊様に向き合う真の心構えを学ぶことができます。

3.「日出ずる国」に誕生された意義

学ぶべき二点目は、大聖人様の御誕生の地が、日本の国という観点からも意義深い地であるということです。かつて聖徳太子は、中国(隋)への親書に「日出ずる国の天子より…」としたためました。大聖人様は、その「日出ずる国」の中でも、当時最も早く日が昇る東条郷に誕生されました。そして後にお名前を「日蓮」と名乗られ、末法万年を照らす妙法を唱え出されたのです。これは不思議な、しかし厳然たる現実です。この一点を拝するだけでも、私たちの信仰が最上のものであると、深く確信することができます。

4.結び

御本尊受持の喜びを胸に今月は大聖人様の御誕生の月です。私たちは今、御本尊様の受持が叶っております。大聖人様が「思い悩む」ほどに厳しく信心を見極められたことを思えば、私たちが御本尊様を受持できていることは、この上ない幸せです。この有り難さを忘れず、厳しい寒さの中ではありますが、「冬は必ず春となる」のお言葉を胸に、日々の歩みを着実に進めてまいりましよう。