『国府尼御前御書』 文永11年6月16日 53歳 御書740㌻
尼ごぜんの御すがたをばみまいらせ候はねども 心をばこれにとこそをぼへ候へ
日蓮こいしくをはせば 常に出づる日 ゆうべにいづる月ををがませ給へ
いつとなく日月にかげをうかぶる身なり
又後生には霊山浄土にまいりあひまひらせん
南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経。
六月十六日 日蓮花押
さどの国のこうの尼御前

〔現代語訳〕
いつも見まもられている
尼御前のお姿を直接見ることはできないが、貴女のお心は日蓮のところにあるように思う。日蓮のことを恋しく思うのであれば、太陽や月に向かって手を合わせなさい。日蓮は晴れた日も雨の日も、いつも変わらずに太陽や月に身を浮かべているからである。
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今年の中秋の名月は9月10日土曜日です。
昔は日蓮正宗の寺院でも、「月見のお経」があった、と御老僧から教えていただいたことがあります。本堂の廊下に祭壇を設け、「だんご」や「ススキ」などをお供えして、月に向かって読経・唱題をした、とのことです。
【3度目の鎌倉幕府への折伏】
大聖人様が佐渡から鎌倉にお帰りになったのがこの年の3月26日です。直後の4月8日に、鎌倉幕府の御内人の筆頭で、権勢をほしいままにしていた平頼綱に対面しました。平頼綱は「貴辺は当時天下の棟梁(とうりょう)なり」(『一昨日御書』477㌻)とありますことから、18歳で第8代執権となった北条時宗を超える権力を持っていたことが想像されます。
余談になりますが、この当時、執権の補佐役に、頼綱の他に安達泰盛がおりました。東京大学歴史編纂所教授の本郷和人氏によれば、安達泰盛は、鎌倉幕府は日本全体に責任を持つべきである、という立場であり、一方の平頼綱は御家人中心の「御家人ファースト」の政治を行ったそうです。大聖人や檀信徒を迫害した頼綱が、国民のための政治を目指したのではなく「御家人ファースト」だった、という話に、大いに頷きました。
また本郷氏は、「時宗は凡庸な執権だったが、太平洋戦争以前の歴史観、つまり大国に立ち向かう日本を強調するうえで讃歎されていた。蒙古からの国書に正しい対応をすれば二度の元寇もなかったのではないか」「国民を苦難に陥れ、鎌倉幕府の滅亡を早めたのではないだろうか」というようなことも述べております。(NHKラジオ・歴史再発見から)。
佐渡から鎌倉に帰られた大聖人様は、「『立正安国論』で述べたように、正法を信仰することで争いや自然災害も治まり、疫病などに冒されない、平和な国土になります。今こそ南無妙法蓮華経と唱える時です」と三度目になる国家・幕府の折伏をされました。
過去2回の折伏では、伊豆流罪や竜の口・佐渡流罪等の仕打ちで応え、大聖人様の仰せを聞くどころか、逆に迫害を加えた平頼綱でした。ところが、『立正安国論』で予言されたことが現実となり、大聖人様のお力を認めざるを得ない状況になりました。そこで、大聖人様を懐柔して味方に付けようしたのです。総本山第6世日時上人が御認めになった『御伝土代』には、幕府が大聖人様に帰依して、鶴岡八幡宮の東側に寺院を寄進します、と述べたことが記されております。
しかし、大聖人様は、「唯一の正法である南無妙法蓮華経を弘通することが目的であり、謗法の者の供養は受けない」(趣意)(『御講聞書』1,847㌻)と仰せになり鎌倉を後にされたのです。
題をした、とのことです。
【身延の地に入られる】
大聖人様が向かわれたのは甲州・身延でした。身延の地頭・波木井実長は日興上人から折伏され、念仏の教えを改めて南無妙法蓮華経を信仰するようになった人です。これは日興上人が波木井家の一族である原殿に宛てた『原殿御返事』を拝するとよく分かります。そこには「日興が波木井の上下の為には初発心の御師にて候事」との明確なお言葉があります。波木井家一族は、日興上人によって大聖人様の教えに導かれたのです。「初発心の御師」なのです。このような縁がありましたので、日興上人のお招きを聞き入れられて大聖人様は身延に入られたのです。
大聖人様と日興上人、そして日興上人と波木井実長の関係を正しく知っておくことで、現在の総本山富士大石寺と身延の関係を正しく理解することができます。
【阿仏房と国府入道の参詣】
日興上人のご案内で大聖人様が身延に入られたのが5月17日です。佐渡から、阿仏房と国府入道が参詣しました。佐渡で大聖人様をお見送りした僅か3カ月後の参詣です。佐渡から身延の道中に20日要するとすれば、大聖人様が身延に入られたとの知らせを受け、早々に佐渡を出発したことがわかります。それほどまでに、佐渡の島の法華講衆は、大聖人様への信仰が深く強かったのです。2人を送り出した千日尼や国府尼も、大聖人様のお顔を拝したい、お目に掛かってお言葉を聞きたい、そのような強い思いです。748年前の6月です。旧暦の6月ですから、今日の暦では7月20日ころにあたります。
【大聖人様は、太陽にも月にも身を浮かべ、いつも私たちを見まもって下さっている】
尼たちも大聖人様の下でお題目を唱えたいのです。一緒に勤行をしたいのです。しかしそれは叶わぬことでした。2人の御信心を受け止めて下さり大聖人様は仰せになります。「尼の身は佐渡にありますが、心は夫と同じように日蓮のもとにあります」と。千日尼や国府尼が大聖人様のことを大切に思い、大聖人様を恋慕渇仰する心に対して、大聖人様は仰せになります。「日蓮は昼は太陽に、夜は月に身を浮かべております。太陽や月が常に天空にあるように、日蓮もいつも貴女たちの上にあって、1日24時間絶え間なく貴女たちのことを見守っております、貴女たちもいつも日蓮のことを思い、南無妙法蓮華経とお題目を唱えましょう」と温かく優しいお言葉で励まして下さるのです。このお言葉通り、太陽や月に大聖人様の御姿を拝し、佐渡からお題目を唱える千日尼と国府尼。この娑婆世界で常に大聖人様と共にあることを信じられる幸福境界がここにあります。また、「後生には霊山浄土にまいりあひまひらせん」と現世ばかりか来世でも、常に見守られていることを信じられるならば、これ以上の安心境界はありません。不安など消し飛んでしまう最高の境界です。さらに、未来永遠に変わらぬ太陽や月に身を浮かべるとの仰せから、現世のみならず、来世までも見守られている御本仏の功徳を信じることが出来ます。三世常住の教えです。
【阿仏房に御本尊を御下附下さる】
阿仏房が御本尊様を御下附いただいたのは、当抄の翌年の文永12年3月です。『阿仏房御書』に
「あまりにありがたく候へば宝塔をかきあらはしまいらせ候ぞ。子にあらずんばゆづる事なかれ」(御書793㌻)
と示されている通りです。伝えられている御書にはございませんが、国府入道にも御本尊様が御下附されたことと拝察いたします。
御本尊様を御下附いただいた佐渡の法華講衆は、御本尊様を大聖人様と拝して、御本尊様を命がけで御護りし、それまで以上の信心に励みました。大聖人様が御入滅になった後、地頭の波木井実長が謗法を犯したため、日興上人が身延を離山されて総本山富士大石寺を建立された後には、佐渡の法華講衆は日興上人に付き随って身延へ行くことはなく、富士大石寺に参詣するという信仰の筋目を守ったことからも、その信仰の素晴らしさがわかります。
【大聖人様に見守られているありがたさを忘れずに折伏をしよう】
私たちは入信したときから御本尊様を御下附していただくことができます。とても恵まれた信心の環境です。大聖人様にお会いしたいと願えば、御開扉を受けることができます。過去世の素敵な因縁の賜だと思います。私たちには、素晴らしい時と、素晴らしい所と、素晴らしい信仰が揃っているのですから、この福徳を我が身だけで甘受するばかりではなく、他の人たちにも分け与えることを忘れてはなりません。周囲の方々と共に幸せになることで、自らの幸せも完結することを忘れないようにいたしましょう。折伏は自身の成仏のための修行です。励んでまいりましょう。
【信心は行動である】【折伏は思いやりと思い切り】
残暑が厳しい折でございます。檀信徒ご一同のご健勝を御祈念申し上げます。
(朔日講〔聖寿801年9月1日〕にて)