• 東京都杉並区西荻窪の「日蓮正宗佛乗寺」の法華講が運営するWeb Pageです。Web Page「日蓮正宗向陽山佛乗寺」(http://www.butujoji.jp/)は、姉妹サイトとなります。

「曾谷二郎入道殿御報」

『曾谷二郎入道殿御報』 弘安4(1281)年閏7月1日 62歳 (御書1,564㌻)

設ひ身は此の難に値ふとも心は仏心に同じ。今生には修羅道に交はるとも後生は必ず仏国に居(こ)せん。

= 来世を信じよう =

仮に我が身がこの度の災難に遭遇したとしても、心は仏の心と同じである。したがって、今世で修羅道に交わるようなことがあったとしても、来世には必ず仏国に居住することができる。

〈拝読の御書について〉

当抄は弘安4年の5月から7月の間にあった2回目の蒙古来襲の模様を曾谷教信が大聖人様にお知らせした時の御返事です。

したがいまして、拝読の最初にあります「設ひ身は此の難に値ふとも」の「此の難」は、「他国侵逼難」を指します。曾谷教信はこの時期出家の身ではありましたが、鎌倉幕府に使える武士であり、また曾谷郷の領主という立場でした。そこで、

国主に随ふ故に此の難に値わんと欲するか」(御書1,564㌻)

とありますように、国主の命に随って蒙古軍と戦わなければならない状況に曾谷教信は置かれていたと思われます。

戦争は修羅界と修羅界の争いです。ゆえに、

今生には修羅道に交わるとも

と述べられるのです。しかし、

後生は必ず仏国土に居せん

と仰せになります。

曾谷教信さん、貴男が蒙古軍との戦いで、修羅界に身を置き命を失うようなことがあったとしても、貴男は日蓮の弟子です。日蓮の弟子である貴男の心は仏の心と同じです。したがいまして来世には必ず仏の国に住することができます。案ずることはありません」と励まして下さるのです。このようなお言葉を賜った曾谷さんの気持ちはどのようだったでしょう。嬉しかったでしょう。どれほどか心強かったでしょうか。

地震や台風などの自然災害、新型コロナウイルスなどの疫病、ウクライナで現実になっている他国侵逼などの兵革の災い。これらを現前にした私たちに対して、大聖人様は曾谷さんと同じように励まして下さいます。時代も状況も違いますが、困難を前にした日蓮大聖人様の弟子檀那である立場は同じです。日蓮大聖人様を仏様と仰ぐ信仰は無二です。曾谷さんが賜った激励のお言葉は、令和の私たちにも等しく賜ることができるものです。

であるならば、これまで以上に自行化他の信仰に励むときである、と自覚すべきです。自覚し行動することで「後生は必ず仏国土に居せん」の強い確信が生まれます。

来世などあるかどうかわからない、というのではなく、大聖人様が仰せになるように、来世を信じることで現世を変えることができるのです。明日があるから、今日の辛いことを乗り越えることができるのと同じです。明日がなければ苦しいことなどしなくてもよくなります。これでは目先のことだけにとらわれる人生になるでしょう。

真剣な今日であれば、明日は期待の持てる一日になるでしょう。反対に自堕落な今日であれば明日も同じ結果になるでしょう。

来世を善くしようと決意し行動することで現世はよくなります。楽しい明日にしようと前に進むから今日も楽しい一日になるのと同じです。

〈後生・来世〉

後生は仏国土に居せん」との仰せは、南無妙法蓮華経と自行化他の信仰に励む私たちは、来世に素敵なところに生まれかわることができる、と教えて下さる御文です。私たちの御本尊様の右上には〈為現当二世〉と認められております。現は現世、当は当来世の略で「当(まさ)に来るべき世」のことです。つまり、御本尊様を信仰するのは、現世と来世という二つの世界の為である、との意です。これは、来世を信じるのが南無妙法蓮華経の信仰である、ということです。それも素敵なところに生まれるのですから嬉しいではありませんか。

来世・後世・未来を信じて現世の信心に励んでまいりましょう。

《曾谷教信》

対告衆は曾谷二郎兵衛尉教信です。総本山第59世堀日亨上人の『弟子檀那列伝』には、

下総葛飾郡曾谷に住して富木氏に次いで入信し信行次第に増進し一生不退に大聖人に奉仕したが、教解の進むに伴いて本門に猛進し迹門不読の見を起こし訓悔を蒙ったこともある。但し住地其の他の縁故に依り富木・太田に協力して法塁を固め通した

とあります。

「下総葛飾郡」は現在の地名では千葉県市川市曽谷です。入信後は大聖人様の教えを弘める使命を果たしたことが記されております。

入信は『立正安国論』を上呈した文応元年といわれておりますので、この御書を頂いたときは入信21年目です。

文永10年の『観心本尊抄副状』には、

観心の法門少々之(これ)を註し、太田殿・教信御房等に奉る。此のこと日蓮当身の大事なり」(御書662㌻)

と大田乗明と共にその名が記されておりますことからも明らかなように、大聖人様の門下でも中心的な存在でした。

曾谷教信は『観心本尊抄』に「寿量品第十六とその前後にある従地涌出品第十五の半分と分別功徳品第十七の半分以外は未得道教」とあることから、「迹門にあたる方便品を読まない」と主張しました。それに対して大聖人様は『観心本尊得意抄』で、

教信の御房、観心本尊抄の「未得」等の文字に付いて迹門をよまじと疑心の候なる事、不相伝の僻見にて候か」(御書914㌻)

と曾谷教信の誤りを厳しく戒められております。

その上で、『曾谷入道殿御返事』では、

方便品の長行(じょうごう)書き進(まい)らせ候。先に進らせ候ひし自我偈(じがげ)に相副(そ)へて読みたまふべし」  (御書794㌻)

と、御自ら方便品を書き写して下さり「これを読みなさい」と御慈悲溢れる御指南をされております。

曾谷教信は大聖人様の弟子として出家し、「法蓮日礼」との名を賜りました。また安国寺と法蓮寺というお寺を建立しました。頂いた御書には『法蓮抄』・『曾谷入道殿許御書』などがあります。

(朔日講〔聖寿801年4月1日〕にて)