『祈祷抄』 文永9年 51歳 (御書630㌻)
大地はさゝばはづるとも、虚空をつなぐ者はありとも、潮のみちひぬ事はありとも、日は西より出づるとも、法華経の行者の祈りのかなはぬ事はあるべからず。
=祈りは必ず叶う=
大地を指さしてハズレることがあったとしても、大宇宙を結び留めて離れないようにする者がいたとしても、海の満潮や干潮が無くなるようなことがあったとしても、地球の自転が反転して、太陽が西から昇るようなことがあったとしても、法華経の行者の祈りが叶わないことはありません。
《語句の意味》
○祈祷
仏や神に祈ること。またその儀式をいいます。当抄は、最蓮房から「華厳宗や真言宗や天台宗などの祈りで願いは叶うのでしょうか」との質問に答えたものです。大聖人様は、真言や天台などで戦勝を祈った朝廷が敗れ、後鳥羽上皇や土御門上皇や順徳天皇が流罪となり、政治権力のすべてが、天皇家から鎌倉幕府に移行した驚くべき事実を挙げられ、誤った教えで祈ることの恐ろしさを指摘されます。反対に、正しい教えである法華経の行者の祈りは必ず叶えられることが述べられております。『祈祷抄』との題号は、祈りについてのことが書き記されていることから後の世に付けられたものです。
○虚空
一、①天と地との間。空。空間。②仏語。一切のものの存在する場所としての空間。ものの存在を邪魔しないのが特徴(日本国語大辞典)
二、①〔仏〕何もない空間。空。仏典では、一切の事物を包容してその存在を妨げないことが特性(広辞苑)
三、①大空・空間。②《仏教語》実体のないこと。空(くう)(全訳古語辞典)。
以上のことを踏まえて、ここでは大宇宙と訳しました。
《最蓮房日浄》
祈祷抄は日蓮大聖人様が51歳の御時(文永9年・1272年)、配流先の佐渡で御認めになったものです。対告衆(たいごうしゅう・御書を与えられた人のことをこのように言います)は最蓮房日浄で、他にも『生死一大事血脈抄』(513㌻)・『草木成仏口決』(522㌻)・『最蓮房御返事』(585㌻)・『当体義抄』(692㌻)・『立正観抄』(766㌻)等の御書を頂いております。何れの御書も深い御法門が説き示されております。
最蓮房は京都の人で天台宗の僧侶でした。しかし、何らかの事情で佐渡に流罪になりました。ところが、流罪地の佐渡において大聖人様にお目にかかり、折伏を受け、罪障消滅の信仰に巡り会うのですから、人生なにが幸いするかわかりません。
『最蓮房御返事』には 一、最蓮房が文永9年の2月に帰伏したこと、二、大聖人様と最蓮房には、遠い過去世より師匠となり弟子となる契約があったこと、三、大聖人様と同じように諸宗の謗法を責め、諸宗の者たちの邪な教えを捨てさせて、正しい教えに導くために励むように等が述べられております。また、
「昔から父母や主君の怒りにふれて遠い島に流罪されたことを、私たちのように悦びである、と感じられる者はいない、このように思うと、私たちが一仏乗を修行する所は、たとえどのような所であったとしても、仏の住される浄らかな都である。私たちの弟子や檀信徒は、私たちの命の中にもともと具わっている仏の尊い覚りを常に得ることができる。この歓喜の心は言葉や文字で表すことはできない(趣意)」(御書588㌻)と仰せです。ただ一つの正法を持つことのできる有り難さを思います。
このお言葉に、流罪の身であった最蓮房がどれほど勇気づけられたことでしょう。大聖人様の三世の生命観を信ずることで、どのような逆境に陥っても、御本尊様とのご縁で、必ず成仏が叶う、苦も楽に変えることができる、と教えて下さる御文です。
さらに、
「日蓮先立ちてゆり候ひて鎌倉へ帰り候はゞ、貴辺をも天に申して古京へ帰し奉るべく候」と述べられます。日蓮が先に許され鎌倉に帰ることになれば、貴男が故郷の京都に帰ることができるように諸天善神に申しつけます、とのお言葉です。大聖人様の御祈念は現実のものとなり、後日、最蓮房は赦免されて京都に帰ることができました。
《三法》
最蓮房に与えられた『当体義抄』は「証の重」といわれ、「教の重」である『開目抄』や「行の重」である『観心本尊抄』と並び称される大切な御書です。
仏法では、「教法・行法・証法」の「三法」が説かれます。教法は仏の教え、行法は仏の教えにしたがって修行をすることです。その修行の結果、功徳として顕れる姿、現証が証法です。
日蓮大聖人様の「三法」について、総本山第二十六世日寛上人は御書文段の中で、「教の重」・「行の重」・「証の重」というお言葉で教えて下さっております。「重」は重大、重要、重きをなす等の意です。大聖人様の仏法を知る上から、最も重要な御書、の意であると拝されます。
「教の重」である『開目抄』では、「五重相対」の上から、法華経が最高の教えであることが述べられます。その法華経にも、迹門と本門の違いがあること、本門にも文上と文底の違いがあることが示されます。そして、末法の人々を成仏に導く教えは法華経の文の底に秘し沈められた「南無妙法蓮華経」の教えでなければならないことを明示されます。その教えを説くのが日蓮大聖人様であることも教えて下さいます。ゆえに、日寛上人は『開目抄』を「教の重」とされるのです。
「行の重」である『観心本尊抄』では、「受持即観心」が説かれております。受持は修行です。御本尊様をお受けし、お守りする修行で仏様の覚りを得られることが明かされた御書ですから「行の重」とされたのです。御本尊様を受持することはとても尊いことなのです。なぜならば、御本尊様を受持することは日蓮大聖人様をお守りすることですから、やがては自行化他の修行に励むときが必ずまいります。ご安心下さい。
そして「証の重」である『当体義抄』では、大聖人様の教えを守り、御本尊様を受持し、自行化他の信仰に励むことで、煩悩や悪業が元になって受ける苦しみを、大きな悦びに転換する功徳を受けられことが明らかにされております。「御本尊様の功徳、修行に励む功徳を証明することから証の重である」とされるのです。証とはあかし、あきらか等の意です。
《拝読の最後に》
2月は日蓮大聖人様の御誕生の月です。更に衣を重ねなければならないほどの寒さから「更衣」呼ばれる月ですが、私たちの心の中に潜む、大きな闇を取り除いて下さる仏様を信じて、寒さに打ち震える身と心を励ましてまいりましょう。
今月の御文「法華経の行者の祈りのかなはぬ事はあるべからず」を毎朝毎夕拝読いたしましょう。希望を持つことで前向きな心が芽生えます。芽生えた心には福が宿ります。諦めずに祈り行動することで願いが叶います。「南無妙法蓮華経」と唱え、明るく元気に日々を過ごそうではありませんか。
春はすぐそこです。
(朔日講〔聖寿801年2月1日〕にて)