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「十字御書」

〔御 文〕

月は山よりいでて山をてらす、わざわいは口より出でて身をやぶる。さいわいは心よりいでて我をかざる。今正月の始めに法華経をくやうしまいらせんとをぼしめす御心は、木より花のさき、池より蓮のつぼみ、雪山のせんだんのひらけ、月の始めて出づるなるべし (御書1,551頁)

御真跡

○『十字御書』をいただいた方

毎年正月に拝読いたします『十字御書』です。十字と書いて「むしもち」と読むことはすでにご承知のことと思います。臼でついた餅が一般的な現在ですが、大聖人様の時代には蒸した餅が多く食されていたようです。

この御書は総本山の北にある重須の地頭、石川新兵衛能助の夫人に与えられたものです。石川家は重須の地頭であったことから重須殿と呼ばれておりました。その夫人ですから重須殿女房と大聖人様は仰せになっております。重須殿女房は総本山大石寺を建立寄進した上野郷の地頭・南条時光の姉にあたります。

○『十字御書』と呼ばれる理由

当抄は、正月に日蓮大聖人様に御供養を申し上げる重須殿女房のご信心をお誉めくださったものです。御書の冒頭に「十字一百まい」とあることから『十字御書』と名前がつけられました。御真筆は総本山に厳護されており、毎年四月に奉修されます御虫払会の折に拝することが出来ます。

十字」と書いて「むしもち」と読むのは、蒸すときに熱の通りがよくなるように、十文字の切れ目を入れたことに由来するといわれております。蒸し餅は杵でついた餅と違い、米の粉を練ったものを蒸して作るもので、正月などの御祝のときに作り、御本尊様に御供えしたことが分かります。十字を赤く染めて御祝いをあらわす風習もあるようです。

○正月を祝う信心に具わる功徳

弘安二年十二月二十七日の『窪尼御前御返事』(御書1,436頁)には、

十字五十まい、くしがき一れん、あめをけ一つ送り給び了んぬ

とあります。窪尼が正月をひかえた暮れの二十七日に蒸した餅や串柿などを御供養したことへの御返事の御書です。

弘安元年一月三日の『上野殿御返事』にも、「元三の内に十字九十枚、満月の如し。心中もあきらかに、生死のやみもはれぬべし」(御書1,350頁)とあります。元三とは正月の三が日のことです。

餅を満月の如し、と仰せになり、正月を御祝いする南条時光の心のこもった御供養を、満月の光りに譬え、心の闇を明らかにして、生死の苦しみから離れることが出来る、と御教示です。

弘安三年正月三日の『上野殿御返事』では、「人は善根をなせば必ずさかう。其の上元三の御志元一にも超へ、十字の餅満月の如し」(御書1,446頁)と述べられております。

御本尊様への御供養は善根を積む修行であり、その功徳でより末永く栄えることになる、とここでも正月を大切にする功徳の大きさを示されております。南条時光を始め、当時の法華講衆が正月の御供養としてお餅をお供えしたことが拝せられます。

○韓国にも中国にも蒸し餅の文化

そのようなことを思いながらインターネットで検索してみますと、中国や韓国にも蒸し餅があることを知りました。と言うよりも、以前から時々口にしておりました。蒸し餅という意識で食べていたわけではありませんでしたが、国は違っても、稲作が中心の地域では似たような食べ物になるのは至極当たり前のことであり、元々近い関係なのだから、もっと仲良くできないものか、と改めて思っております。

○自身の「こころ」を知る功徳

大聖人様は、

わざわいは口よりいでて身をやぶる

と仰せです。身につまされるお言葉です。よくよく考えて発言しなさいよ、とのご注意を忘れないようにいたしましょう。また、

さいわいは心よりいでて我をかざる

と述べられます。勇気の出るお言葉ではありませんか。心のない人はおりません。みな心があります。幸いになるのも辛い思いをするのも、一人ひとりの心がけ次第だと言うことです。誰のせいでもありません。すべて自身の心が外に現れるのですから、心を大切にする必要がある、と大聖人様は仰せなのです。

○己を知ることができる御本尊様

そのために大聖人様は御本尊様を私たちに授与してくださったのです。御本尊様の中には尊い仏様や菩薩様方がおわします。釈尊を殺そうとした提婆達多のような苦しみの心の者もおります。これは、仏様の尊い心も、提婆達多のような苦しみや悩みの心もともに私たちの心の中にあることを教えて下さるものです。

○法華経を供養するとは

御本尊様を御護りすることを『十字御書』では、「法華経を供養する」と仰せです。大聖人様の下に足を運ぶ、蒸し餅の御供養をする、お水をお供えする、勤行唱題をする、すべてが法華経を供養することであり、御本尊様を御護りすることになるのです。

佛乘寺の檀信徒である皆さまも、常に「法華経を供養する御心」で日々過ごされております。ゆえに、「木に花、池に蓮の蕾、雪山の栴壇、そして満月に煌々と照らされる我が身」の境界を自在に築くことができます。

新しい年も、御本尊様は私たちと共にあり、昼夜に大聖人様から見守られていることを自覚し、勇気を出して進んでまいりましょう。

(朔日講〔聖寿801年1月1日〕にて)