『立正安国論』文応元年7月16日39歳 御書250㌻
唯我が信ずるのみに非ず、又他の誤りをも誡めんのみ。
『立正安国論』の最後の御文です。
日蓮大聖人の教えを私だけが信ずるのではなく、周りの人々も日蓮大聖人の信仰に導きます、という決意の言葉です。
私たちの信仰の先輩はこの御文を、「美味しいお饅頭を一人で食べるのではなく、みんなに勧めて一緒に食べるともっと美味しくなる」と言い換えて、折伏に励んでまいりました。お聞きになった方も多いことと思います。
このお饅頭美味しいから一緒に食べましょう、と勧めることによって、お饅頭がさらに美味しくなる、つまり功徳を実感したからこのような言葉になったのです。
お饅頭がケーキに変わろうとも、この日蓮大聖人様の折伏の教えは不変です。美味しいものを食べて皆が笑顔になれるように、南無妙法蓮華経と唱えれば皆で幸せになれる、皆が笑顔になれば勧めた私も笑顔に包まれて、さらに幸せになれる、との好循環が生まれます。
差し出されたお饅頭を美味しいと感じ笑顔になる人と、勧められてお題目を唱えたことで功徳を感じることができる人に共通するのは「感謝する心」だと思います。私のことを心にかけてくれている、ありがたい、と思えば自ずから感謝の念がわき上がり、貴方のお勧めのようにいたしましょう、と感謝の念を表すようになるのです。
このように考えますと、『立正安国論』の最後に、折伏を受けた人の感謝の言葉が記されているのは、折伏をする私たちにとって大きな指針であると拝します。大聖人様が相手のことを思い、相手の幸せを強く願い、心をこめて折伏をされたように、私たちも励んでまいりましょう。
『立正安国論』は主人(日蓮大聖人)の元を訪れた客(北条時頼を想定)との問答の形式になっております。冒頭に、
「旅客来たりて嘆いて曰く、近年より近日に至るまで、天変・地夭・飢饉・疫癘遍く天下に満ち」
とあります。繰り返される災害やそれにともなう飢饉、また疫病などで多くの
人々が苦しんでいる。それらを解決するために念仏などの教えにしたがって懸命に励んでいる。また国主は徳政に励み民衆を救済しようとしているが、いっこうに効き目がないのは何故でしょうか、という客の質問と嘆きの言葉です。
それに対する主人の答えが、
「世皆正に背き人悉く悪に帰す。故に善神国を捨てゝ相去り、聖人所を辞して還らず。是を以て魔来たり鬼来たり、災起こり難起こる」
というものです。正しい教えに背いているから諸天善神や聖人がいなくなり、代わりに魔や鬼が来て災難を起こしている、と現状を指摘された言葉です。
客の、その証拠を示していただきたいとの質問に対し、主人は、金光明経・大集経・仁王経・藥師経を引いて、正法を信じないから三災七難が起こることを論証され答えとされます。
客はこの言葉に対して、私たちは仏の教えを信じ、多くの寺塔を建立して信仰に励んでいると反論し、ついには憤って、
「杖を携へて則ち帰らんと欲す」と、席を立つばかりになった時、
「主人咲み止めて曰わく」と、主人はニコッと笑って客の帰ろうとするのを止めて、さらに詳しく誤りである理由を説き聞かせるのです。
親切に丁寧に話を進められ、最後の段階にいたって、
「此の経文を披きて具に仏語を承るに、誹謗の科至って重く毀謗の罪誠に深し」とこれまでの信仰を反省する言葉があります。そして、
「我一仏を信じて諸仏を抛ち、三部経を仰ぎて諸経を閣きしは是私曲の思いに非ず、則ち先達の詞に随ひしなり」と述べて、これまで念仏の信仰に励んできたのは、法然などの者の教えにしたがったもの、私の思いからではありません、と正信に目覚めるにいたりました。
このように、客がこれまでの念仏の教えを改めて日蓮大聖人の教えに従うと決意の言葉を述べるとともに、自らだけではなく周りの人々の誤りを誡めて正しい教えに導くことを宣言した今月の拝読御書につながるのです。
『立正安国論』は末法の御本仏のお立場から、災害や飢饉や疫病などの社会現象を挙げて、その原因は誤った思想にある、誤った思想は正法を否定することに起因していることを、多くの経文を引かれて論証されます。そして、正しい教えに帰入することで、諍いのない平和国家の樹立、自然災害などに遭遇することのない功徳を個々で受けること、つまり一切衆生の幸せが実現することを示される論文です。
大聖人様の精神は、『立正安国論』にはじまり『立正安国論』に終わる、と言われます。私たちの信仰も、『立正安国論』にはじまり『立正安国論』に終わるものでなければなりません。大聖人様は御本仏のお立場から、全人類に対して折伏をされました。私たちはその教えを受けて、私たちの立場での折伏です。親や兄弟、友人知人、会社の同僚、近所の方々への安穏が実現したときに、私たちの真実の幸せが実現することを心肝に染めて精進をいたしましょう。
『持妙法華問答抄』に曰く。
「南無妙法蓮華経と我も唱へ、他をも勧めんのみこそ、今生人界の思出なるべき」(御書300㌻)
(朔日講〔聖寿801年11月1日〕にて)