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「十字御書」

『十字御書』 弘安4年1月5日 60歳 御書1,551㌻

「正月の一日は日のはじめ、月の始め、としのはじめ、春の始め。此をもてなす人は月の西より東をさしてみつがごとく、日の東より西へわたりてあきらかなるがごとく、とくもまさり人にもあいせられ候なり。」

◇徳を積み愛される人に◇

〔現代語訳〕
正月の朔日は日の始めであり月の始めであり年の始めであり春の始めです。この正月の意義を知って大切にする人には、西の空に昇った月が、東の空に向かうにしたがって満ちるように、太陽が柬から西に渡ることが明らかであるように、功徳が積み重なり、まわりから愛され、大切にされます。

 聖寿802年の新春を謹んでお慶び申し上げます。
 旧年中のコロナ禍にあっても、檀信徒御一同には御本尊様第一、折伏第一の御信心で日々を過ごされました。その尊い信心修行に無量の功徳が積まれたことと存じます。

 新しい年もコロナ禍の終息は見通せず、旧統一教会問題や物価高騰、さらには政治家不信。国外に目を向ければ、ウクライナヘの侵略や各地での紛争等々で、私たちの日々の生活に人きな不安があります。
 生きていることが苦であり、病や老いの苦しみ、さらに究極の苦しみである死。この生・老・病・死の四苦を乗り越えるために、日蓮大聖人様は南無妙法蓮華経の御本尊様を私たちに与えて下さいました。したがいまして、御本尊様を御護りしている私たちは御本尊様に御護りいただけます。これは間違いのないことです。間違いのないことではありますが、さらにそのことを確実にするためには、御護りいただいて有り難い.と思う心をまわりの方々に伝える仏道修行が大事です。まわりに伝える仏道修行が折伏です。
 日蓮大聖人様の信仰は『立正安国論』の、「汝須く一身の安堵を思はゞ先ず四表の静謐を祈るべきものか」「唯我が信ずるのみに非ず、又他の誤りをも誡めんのみ」のお言葉に尽きます。このお言葉は、日蓮正宗の信仰から折伏を取ったら日蓮正宗ではない、と言われるもとになるものです。
 さて本年は繰り延べになっておりました「宗祖日蓮大聖人御聖誕800年記念総登山」が、3月から12月にかけて挙行されるはこびとなりました。これは講中登山として執り行うもので、現在日程を登山事務所に申請中です。まもなく正式な日程が決められることと存じますが、檀信徒御一同には意義ある総登山でございますので、万難を排して日蓮大聖人様の御許に御身を運ぼうではありませんか。御身を大御本尊様の御前に置き、過去遠々劫の罪障消滅と、未来永遠に崩れることのない功徳を受けようではありませんか。
 新しい年も、「折伏」と「登山」を車の両輪にして、仏国土建設に向かって精進をいたしましょう。
 

 今月の拝読御書は、毎年お正月に拝読する御書ですから皆さまにもおなじみのことと存じます。今回は、この御文でよく質問のある「月の西より東をさしてみつがごとく」を図にしてみました。

 月も太陽も東から昇り西に沈むという理解だけでは謎の御文だと思います。これは中学三年生の理科で習う地球と月の公転周期を思い出せばわかります。
 天空の月を何時間続けて見ておりますと、東の空から西の空に移動します。太陽や星も同じ動きです。これは地球が反時計回りに自転しているから起こる現象です。ただ月が太陽や星と違うところは、月は地球の周りを回っていることです。そこで次に、毎日同じ時間に月を見ますと、昨日はAの位置で見えたのが、4、5日後にはBの位置にあり、8日から9日後にはC(南中)の位置になります。さらにDに移り、15日後には満月となってEで見えるようになります。
 このように、決まった時刻に月を見るという前提条件があって「月の西より東をさしてみつがごとく」と言う御文になるのです。月が西から昇り東に沈む、ということではないことがおわかりいただけたと思います。


 高村光太郎は『智恵子抄』で「智恵子は東京に空が無いといふ、ほんとの空が見たいといふ」と書いております。高層ビルが建ち並ぶ現在では『智恵子抄』が書かれたころよりさらに空が無くなっている、といえるかもしれません。

 日蓮大聖人様のころは、空を「無」くするのは山だけでした。お生まれになった安房・小湊は太平洋に面し、背後の山もスカイツリーよりも低い高さです。また夜空の月天子や明星天子は私たちが目にする以上に輝いていたと思います。太陽からの恵みも今日以上に感じる時代でした。今はビルや隣の屋根に隠れることも多い太陽や月ですが、大聖人様もご覧になっていた太陽と月です。
 大聖人様は、『四条金吾女房御書』で、「闇なれども灯人りぬれば明らかなり。濁水にも月入りぬれぱすめり。明らかなる事日月にすぎんや。浄き事蓮華にまさるべきや。法華経は日月と蓮華となり。故に妙法蓮華経と名づく。日蓮又日月と蓮華との如くなり」  (御書464㌻)
と仰せになります。私たち凡夫の悩みや苦しみを解決することのできる妙法蓮華経を.闇夜を明るくする太陽や月に譬え、煩悩で穢れた生命を清浄な生命に変換する南無妙法連華経の御題目を、泥水の中で清らかな花を咲かせる蓮華に譬えられております。さらに、日蓮という名前は、大空にあっては太陽と月、天地にあっては蓮華の如きものであり、妙法蓮華経そのものである、と御本仏としてのお立場にあることを教えて下さるのです。
 また、『国府尼御前御書』では、
 「日蓮こい(恋)しくをはせば.常に出づる日、ゆう(夕)べにい(出)づる月ををが(拝)ませ給へ。いつとなく日月にかげ(影)をう(浮)かぶる身なり」  (御書740㌻)
と述べられております。
 このお言葉は、1日24時間1年365日、日蓮は日月に姿を変えてあなたを見まもっています、という御本仏の大慈大悲、一切衆生の父母であられるお立場からのお言葉です。
 さらに、『寂日坊御書』を拝しますと、
 「日蓮となのる事自解仏乗とも云ひつべし。かやうに申せば利口げに聞こえたれども、道理のさすところさもやあらん。経に云はく『日月の光明の能く諸の幽冥を除くが如く、斯の人世間に行じて能く衆生の闇を滅す』と此の文の心よくよく案じさせ給へ」             (御書1,393㌻)
とございます。
 日蓮と名乗るのは誰に教えられたことでもない、日蓮自らの覚りである。法華経の神力品には『太陽や月の光が闇を除くように、人々の心の闇を晴らすのは凡夫の姿で出現する仏である』と説かれている、と仰せです。
 『四条金吾女房御返事』では、妙法蓮華経即日蓮。『国府尼御前御書』ではその日蓮が常に見まもっている、と述べられ『寂日坊御書』においては、末法の闇夜を照らすのは日蓮大聖人様であることを明示遊ばされていると拝することができるのです。
 
 このように、日蓮人聖人様と日月の深い関係を拝しますと、『十字御書』での月と日との譬えも、「日蓮の申し上げることを信ずるならば、太陽や月の運行が絶対であるのと同じように、即身成仏の功徳を受けられる」という御確信を示して下さっているのです。
 佛乘寺檀信徒のみな様は、新しい年も御本尊様第一の御信心で一歩を踏み出されました。その御信心に「徳もまさり人にも愛せられ候なり」の大功徳が備わります。日蓮大聖人様のお言葉を胸に、功徳を確信して本年も歩んでまいりましょう。

(朔日講〔聖寿802年1月1日〕にて)