我日本の柱とならむ、我日本の眼目とならむ、我日本の大船とならむ等とちかいし願やぶるべからず。
【現代語訳】
(どのような迫害を加えられても)日蓮は日本の柱になろう、日蓮は日本の眼目になろう、日蓮は日本の大船になろう、との誓願を破ることは絶対にありません。
※誓願=仏や菩薩方が、一切衆生の幸福を願い、このことを必ず成し遂げようと誓うこと。
◇御本仏の御誓願
日本の柱になる、とは、文字どおり日本の柱になって、日本の国を支えるとの誓願です。主師親の三徳に配すると主の徳になります。
日本の眼目となる、とは、日本に住するすべての人々の眼目となることです。眼目は、大切なこと、肝要、中心等と辞書にはあります。その上で『下山御消息』の次の御文を拝しますと、
「一身に三徳を備へ給へる仏の仏眼(ぶつげん)を以て、未来悪世を鑑(かんが)み給ひて記し置き給へる記文」 (御書1,142㌻)
とあります。ここに三徳を備えられた仏様の仏眼は未来を見ることかできる、とありますので、日本の眼目とならむとのお言葉は、仏眼をもって未来を見通し、人々を誤りなき道に導いて行く誓願を立てた、という意味で拝することができると考えます。すなわち未来を見通して導く、指導する師の徳です。
日本の大船になるも文字通りの意味で拝することができます。仏教の宇宙観では須弥山の四方にそれぞれの島がある。私たちが住んでいるのは須弥山の南側の南閻浮提である、と説きます。一閻浮提ともいいます。したがいまして大聖人様が大船にならむ、との誓願は一切衆生を悩みや苦しみに満ちあふれている地獄界や餓鬼界や修羅界から、悦びや楽しみの世界に渡す仏様の大慈悲を表されたものだと拝します。三徳では親の徳になります。
◇「大船」とノアの方舟の違い
余談ですが、「大船」から「ノアの方舟」を連想した方もいらっしやると思います。
ノアの方舟は、神が堕落した人類を一掃するために大洪水を起こすことにした。その前にノアという者に命じて船を造らせ、その船にノアの家族と動物たちを乗せた。洪水でノアの家族以外の人類は死んでしまったが、ノアの家族と動物たちは生き残った、というものです。キリスト教的な意義付けは色々あるのでしょうが、仏教から見ますと、神は残酷ですね。堕落した人類は一掃されるべき者、と教えているように思わざるを得ません。広島や長崎への原爆投下も、悪い者は一掃しよう、一掃してもかまわない、という教えの延長線上にあるのではないかと思えます。思いたくありませんが、ベトナム戦争でのナパーム弾の使用なども同じではないでしょうか。規模こそ違え我が国も、日中戦争での無差別爆撃があります。国や人種、時代が違っても、仏法に説かれる「無明」が現れた姿である、といえます。悲しいことに今またウクライナでも無差別攻撃が繰り返されています。
◇折伏で安国を
「防衛力強化」の名の下で着々と軍備の増強が現実になっております。「新しい戦前」という言葉を聞くようになりました。再び軍拡の社会になりつつあります。あっという間に戦禍に飲み込まれるのではないかと危惧するのは私だけではないと思います。
このような社会であっても、大聖人様の「大船とならむ」の教えは不変です。一掃するのではなく、すべてを受け入れて同じ船に乗り、ともに幸福世界に渡ることのできる大御本尊様という大きな大きな船が私たちにはあります。大船にみなで乗ることを目指し、諦めることなく折伏をするのが私たち法華講衆の使命です。使命を果たすことで功徳が積まれます。
◇御本仏の御確信
『開目抄』の冒頭で
「夫(それ)一切衆生の尊敬(そんぎょう)すべき者三つあり。所謂(いわゆる)、主・師・親これなり」(御書523㌻)と仰せになり、すべての人々が尊敬すべきものとして、主・師・親の三徳が示されます。この三徳を一身に備えるのは仏様だけです。
大聖人様はその三徳を兼ね備えた我が身になろうとの誓願を立てられました。本日拝読の御文です。
その誓願を達成するためには「貴方に日本の国を譲る」と甘い言葉をかけられ法華経の信仰から退転するように誘われても、「念仏を唱えないのであれば貴方の父母の首を切る」と脅されても、南無妙法蓮華経の御題目から離れることはない、と精進を重ねたことで、
「日蓮は日本国の諸人に主師父母なり」 (御書577㌻)
と、末法の仏としての御境界を得られたことを教えて下さっております。申すまでもありませんが、御文の「父母」は「親」です。大聖人様が御一身に主師親の三徳を備えている、と明言されているのです。
◇『開目抄』に沿って拝すると
先ず①一切衆生が尊敬する者が三徳である、と仰せになり、②三徳を備える我が身になることを誓願され、最後に③三徳を備えた身が日蓮である、とされて、仏様の御身を明らかにされるのです。
◇「日本国」は全世界のこと
また、日本国とあることから、日本限定の仏様と取る向きもあるやもしれません。そこで日寛上人の御指南をご紹介いたします。これは『安国論愚記』に記されております。
「今謂く、文別意通なり。文は唯日本及び現世に在り、意は閣浮及び未来に通ずべし云云」 (御書文段5㌻)
と。これは、『立正安国論』の「国」の意味を教えて下さる箇所で、文の上での「国」は日本国であり時代は現世のことを指すが、大聖人様の御意は、「国」は一閻浮提を指し、時代は未来のことを含む、と明確な御教えです。大聖人様のお心にある「国」は一閻浮提、つまり全世界のことを指しているのです。
◇教主釈尊より大事な大聖人様
なお、御書中には次のような御文が多々ございます。
『頼基陳状』
「教主釈尊は日本国の一切衆生の父母なり、師匠なり、主君なり。阿弥陀仏は此の三の義ましまさず」 (御書1,134㌻)
『弥三郎殿御返事』
「此の三徳を備へ給ふ事は十方の仏の中に唯釈迦仏計りなり」 (御書1,163㌻)
◇身延派を破折する御文
これらの御文は、身延派の破折に有効なお言葉だと気づかれたと思います。それは、「釈尊だけが三徳を備えている」との仰せと、『開目抄』の「日蓮は主師父母なり]との仰せを併せて拝しますと、例え一歩譲ったとしても、大聖人様は釈尊と同等のお立場である、との意味になります。しかし、身延派の者たちは大聖人様の立場を「釈尊のお使い、上行菩薩」、「釈尊の弟子上行菩薩」と一段低く置いておりますので、そうではない、この御文が見えないか、と語ってまいりましょう。
先に「一歩譲って」と述べましたが、この御文を一歩深く拝するならば、『下山御消息』の、
「教主釈尊より大事なる行者を、法華経の第五の巻を以て日蓮が頭(こうべ)を打ち」 (御書1,159㌻)
とのお言葉が素直に心に入ってまいります。法華経を説かれた釈尊よりも大事な日蓮大聖人様なのです。日寛上人が『法華取要抄文段』で教えて下さるように、文上の釈尊ではなく文底の釈尊が日蓮大聖人様であり、久遠元初の自受用報身如来様なのです。
◇勇気の元
長くなりましたが、ここで拝しました御文は、心に入れておくと折伏をする時の勇気の元になります。
御本仏の御誕生月の2月です。日興上人の御入滅の月です。一年で一番寒いといわれる月です。来月からは暖かくなる月、と思えば希望の月です。あたたかい心で、御本仏のお言葉を伝えてまいりましょう。折伏は身心があたたまる修行です。ご精進をお祈り申し上げます。
(広布唱題行〔聖寿802年2月5日〕にて)