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「日蓮大聖人様と『立正安国論』と日興上人」

『日興遺誡置文』

爰に我等宿縁深厚なるに依って幸ひに此の経に遇ひ奉ることを得、随って後学の為に条目を筆端に染むる事、偏に広宣流布の金言を仰がんが為なり。

一、富士の立義聊も先師の御弘通に違せざる事。

一、五人の立義一々に先師の御弘通に違する事。

(御書1,883㌻)

今から762年前の文応元年7月16日、聖寿37歳の御時に、『立正安国論』が奏進されました。相手は鎌倉幕府の第5代執権北条時頼です。

日蓮大聖人様の御生涯は『立正安国論』に始まり『立正安国論』に終わる、と言われます。その理由の一つに、『立正安国論』で説かれる「破邪顕正」があります。誤った教えを弘める念仏や真言などの邪宗邪義を打ち破り、真実の仏が説かれる正しい教えを顕かにする「破邪顕正」が大聖人様のご一生です。換言すれば立宗宣言より、御入滅のその時まで「折伏・折伏」の連続でした。そこで『立正安国論』に始まり『立正安国論』に終わる、と後の私たちは申し上げ、折伏の無い信仰は日蓮大聖人様の信仰ではない、折伏をすることで本当の功徳が受けられる、と常に折伏を掲げて精進をするのです。

大聖人様にとっても大切な『立正安国論』ですが、私たちにとっても大切な『立正安国論』です。

朔日講拝読御書でも書きましたが、『立正安国論』をご執筆遊ばされるに先立ち、改めて一切経をご覧になるために、富士市・岩本の実相寺に赴かれました。正嘉2年(1258年)の時です。実相寺は富士川の辺にあり、その対岸の蒲原に四十九院がありました。この当時、12歳の日興上人が修学に励んでおられました。

日興上人のお生まれは甲州鰍沢、現在の山梨県富士川町です。鎌倉から日蓮と名乗られる御僧侶が実相寺に滞在されている、とお聞きになった日興上人は、早速日蓮大聖人様を訪ねました。日興上人は大聖人様の御尊容に触れその場でお弟子になりました。

恐れ多いことですがここからは私の想像です。

人々を苦悩から救い出す教え、方法を一刻も早く確立されるために、寸暇を惜しんで一切経に取り組まれている大聖人様のお姿を拝した日興上人。大聖人様が実相寺に入られたのは2月といわれております。十分な暖房施設もない時代です。静岡と言っても真冬ですから寒さは厳しかったと思われます。そのような中で、一切衆生のことを思われ、我が身を省みずに懸命に励まれている日蓮大聖人様以外に師匠としてお仕えする方はいない、と確信されたのです。この時から、御入滅の時まで、伊豆への流罪、竜の口法難、佐渡流罪、身延での御化導と、法難に次ぐ法難の中、24年間にわたる常随給仕を全うされることになります。

『立正安国論』を執筆されるために赴かれた実相寺で大聖人様と日興上人の師弟の契りが結ばれたことは偶然ではなく必然です。

仏法上の深い因縁が今世で大聖人様と日興上人というお姿となって表れたのです、そのことを、『遺誡置文』で

「爰に我等宿縁深厚なるに依って幸ひに此の経に遇ひ奉ることを得」

と仰せになるのです。

『日興遺誡置文』は日興上人が私たち弟子檀那にお残し下さった誡めのお言葉です。「宿縁深厚」に続いては、「広宣流布の金言を仰がんが為」とされ、仏縁を大切に思い誡めを書き置くのは、世界中の人々が一人残らず幸せになれる、とのお言葉を現実のものとするためである、とその意義を述べられます。このお言葉にも、『立正安国論』で示された大聖人様の精神を受け継ぎ、世に弘める、という折伏の信仰が示されております。

二十六箇条ある第一番目で、「富士の立義は大聖人様の立義と同じである」と絶対のお言葉です。立義は義を立てることです。義は教義です。日蓮正宗の教えは日蓮大聖人様が打ち立てられた通りです。髪の毛一筋の違いもありません。

立義の中でも一番わかりやすいのが「御本尊様のお姿」です。『草木成仏口決』には、

「一念三千の法門をふ(振)りすす(濯)ぎたてたるは大曼荼羅なり。当世の習ひそこなひの学者ゆめにもしらざる法門なり」 (御書523㌻)

とあり、『経王殿御返事』では、

「日蓮がたましひ(魂)をすみ(墨)にそめながしてかきて候ぞ、信じさせ給へ。仏の御意は法華経なり。日蓮がたましひは南無妙法蓮華経にすぎたるはなし。(乃至)経王御前にはわざはひも転じて幸ひとなるべし。あひかまへて御信心を出だし此の御本尊に祈念せしめ給へ」  (御書685㌻)

とございます。「一念三千」が南無妙法蓮華経であることは、『観心本尊抄』の、

「一念三千を識らざる者には仏大慈悲を起こし、五字の内に此の珠を裹み、末代幼稚の頚に懸けさしめたまふ」 (御書662㌻)

の仰せから明らかです。五字は南無妙法蓮華経のことです。南無妙法蓮華経の御本尊様を私たち幼稚の者のために御図顕下さったのです。また、『阿仏房御書』 で、

「南無妙法蓮華経ととなふるものは、我が身宝塔にして、我が身又多宝如来なり。妙法蓮華経より外に宝塔なきなり。法華経の題目宝塔なり、宝塔又南無妙法蓮華経なり」  (御書792㌻)

と宝塔が南無妙法蓮華経であることを明示されております。

さらに続いて、

「あまりにありがたく候へば宝塔をかきあらはしまいらせ候ぞ。子にあらずんばゆづ(譲)る事なかれ。信心強盛の者に非ずんば見する事なかれ。出世の本懐とはこれなり」 (御書793㌻)

と仰せられ、宝塔すなわち南無妙法蓮華経と御認めになられた御本尊様を阿仏房に御下附されたことがわかります。御文から、信心強盛な者は、御本尊を拝することが叶う、大聖人様の出世の御本懷は、南無妙法蓮華経の御本尊様を顕し、末法の凡夫を導くこと、等が拝されるのです。

南無妙法蓮華経の御本尊様が大聖人様の立義であり日蓮正宗の立義であることがわかれば、御本尊様に手を合わせ、強盛な信心で祈るならば、祈りは叶います。

残念なことに、日興上人以外の日昭・日朗・日向・日持・日頂の五人は大聖人様の立義に反し、釈尊を形取った仏像を作って本尊として安置し、その本尊に南無妙法蓮華経と唱えていることを、「五人の立義は大聖人様に違背している」と破折されております。

『日興遺誡置文』が認められてから七百数十年をへた現在、身延派などは宗祖を日蓮大聖人様として「日蓮宗」と名乗っていながら、その内容は日蓮大聖人様とまったく違うものになっております。日蓮大聖人様が、『立正安国論』で示された破邪顕正を忘れて、謗法の宗派である念仏や真言や禅宗などに親近するばかりで、折伏の精神など微塵もありません。彼らが跋扈する日本の現状では三災七難がますます盛んになるばかりです。

彼我の違いから、『立正安国論』を執筆されるために実相寺に滞在中の大聖人様と、若干12歳の日興上人との「深厚宿縁」のありがたさを思い、私たちもその中にあること、即ち「我等宿縁深厚」を誇りとして自信と勇気を持って自行化他の信仰に励んでまいりましょう。暑い季節になります。コロナばかりか熱中症にも十二分に注意をして精進を重ねてまいりましょう。

(広布唱題行〔聖寿801年7月3日〕にて)