『崇峻天皇御書』 建治3年9月11日 56歳 御書1,173㌻
蔵の財よりも身の財すぐれたり。身の財より心の財第一なり。
=一番大切な財を=
蔵の財宝はお金や財産。身の財は地位や名誉。心の財は正しい教えを信ずること。蔵の財も身の財も大切だが、心の財こそ第一の財である。なぜならば、心に蓄えた財は、現世ばかりか来世でも活用することが出来るからである。過去世・現世・来世の三世にわたって唯一の財物が「南無妙法蓮華経」です。
この御書が与えられたのは建治3年9月11日です。大聖人様は56歳。頂戴した四条金吾は48歳のときです。
四条金吾は鎌倉幕府第二代執権である北条義時の孫にあたる江間光時(北条光時・名越光時ともいう)の家臣でした。主君の江間光時は極楽寺良観(忍性)の熱心な信徒でした。江間光時が信仰する良観は真言律宗の僧侶で、鎌倉の極楽寺に住しており、仏教各宗の中心的な存在で、宗教活動に名を借りて慈善活動のようなことをしておりました。
『聖愚問答抄』を拝しますと、
「極楽寺の良観上人は、港や鎌倉の入り口に設けた関所で通行料を徴収して、それをもとにして諸国に道や橋を造り、人々から生き仏のように崇められている(趣意)」 (御書383㌻)
とあります。一見すると立派なことをしているようですが、現実には、「良観は絹布や財宝を蓄えてそれらを貸し付けることで利子を稼いでいる。また道を造ったり橋を架けたりする名目で通行料を徴収しているが、そのことで旅人の自由な通行が妨げられ迷惑をしている(趣意)」 (御書384㌻)
と記されております。このことから利権を漁る政治家のような存在だったことがわかります。さらに、『頼基陳状』を拝しますと、良観が幕府の請いを受けて雨乞いの祈祷をした時に、大聖人様が良観に対して、
「七日の間に雨を降らすことが出来たら日蓮は貴方の弟子になりましょう。但し降らなければ法華経の弟子になりなさい(趣意)」 (御書1,131㌻)
と申し入れたところ、良観は、
「悦び泣いて、弟子達とともに懸命に祈った(趣意)」(同)
のですが、雨が降るどころか暴風が吹き荒れて人々の苦しみは増すばかりでした。
このような状況をご覧になった大聖人様は、
「雨を降らす方法を教えます。人々の嘆きは大きくなるばかりです。間違った祈りは止めなさい(趣意)」 (御書1,132㌻)
と強く誡められた、と述べられております。
祈雨に失敗し、自らの力では大聖人様に太刀打ちできないことが分かりきっている良観は、幕府の権力者に働きかけて大聖人様を排除しようとしたことで「竜の口の法難」に繋がるのです。江間光時も良観の熱心な信徒であり幕府側の人物ですから、家臣の四条金吾が日蓮大聖人の信仰に励んでいることを快く思っていないのは当然のことです。
佐渡から大聖人様が鎌倉にお帰りになり、三度目の諌暁の後身延に入られましたのが文永11年5月です。この年の11月に四条金吾は意を決して主君の江間光時を折伏いたしました。四条金吾45歳の時です。
『主君耳入此法門免与同罪事』
心は日蓮に同意なれども身は別なれば、与同罪のがれがたきの御事に候に、主君に此の法門を耳にふれさせ進らせけるこそありがたく候へ。今は御用ひなくもあれ、殿の御失は脱れ給ひぬ。此より後には口をつゝみておはすべし。又、天も一定殿をば守らせ給ふらん。此よりも申すなり。かまえてかまへて御用心候べし。いよいよにく(悪)む人々ねら(狙)ひ候らん。 (文永11年9月26日 53歳 744㌻)
意訳「(四条金吾は)日蓮の信仰をしているが、身は江間光時に使えている。謗法の者に使えていることで「与同罪」という謗法の罪を受けるところであったが、この度江間光時を折伏したことで与同罪を免れることができる。今後は口を慎みなさい。諸天が貴男を護ってくださるでしょう。日蓮も祈ります。呉々も用心をしなさい。魔が競うでしょう」
このことがあってから後の四条金吾は、
「大難雨の如く来たり候」 (『四条金吾殿御返事』775㌻)
でした。大聖人様は、
「受くるはやすく、持つはかたし。さる間成仏は持つにあり。此の経を持たん人は難に値ふべしと心得て持つなり」(同)
と励まして下さっております。
それでも大難は続々と起こってまいりました。四条金吾が47歳の建治2年9月の『四条金吾殿御返事』には、「領地替え、所領を召し上げの危機」があったことが記されております。さらに、翌建治3年6月の『頼基陳状』には、江間光時から四条金吾に宛て、「大聖人の信仰を捨てることを誓うように(趣意)」(御書1,126㌻)との下文が出されたことが記されております。
この下文に対する返事として、四条金吾に成り代わって大聖人が御認め下さったのが『頼基陳状』です。翌7月の『四条金吾殿御返事』には、
「法華経の信仰を止めるという起請文は書かない、との決意を認めた手紙を見て、三千年に一度咲くといわれる優曇華(うどんげ)の花を見たように思う(趣意)」 (御書1,161㌻)
とあり、大聖人の信仰を退転しないことを固く誓っております。それに対して、
「一生はゆめの上、明日をご(期)せず。いかなる乞食にはなるとも法華経にきずをつけ給ふべからず」 (御書1,162㌻)
意訳「一生は夢のように儚いものである。明日のことさえ分からない世の中である。決して法華経に傷を付けるような仏道修行をしてはならない」(乞食本来の意は、托鉢で家々を回る修行者のこと)
と仰せ下さるのです。厳しいお言葉ですが、成仏、真の幸福とは何かを教えて下さるものです。
池上宗長に与えられた8月21日の『兵衛志殿御返事』には、
「此より後もいかなる事ありとも、すこしもたゆ(弛)む事なかれ。いよいよはりあげてせ(責)むべし。たとい命に及ぶとも、すこしもひる(怯)む事なかれ」 (御書1,166㌻)
とあります。どのようなことがあっても弛まずに、勇気を持って折伏をして行きなさい。命に及ぶようなことあったとしても怯んではなりません、とここでも厳しいお言葉です。
二日後の8月23日付けの『富木殿御書』では、教えの正邪を見極めなければならない、とされ、
「我が門家は夜は眠りを断ち昼は暇を止めて之を案ぜよ。一生空しく過ごして万歳悔ゆること勿れ(乃至)志有らん諸人は一処に聚集して御聴聞有るべきか」 (御書1,169㌻)
と仰せです。皆で集まって日蓮の教えを聞きなさい、と。
池上兄弟も富木常忍も四条金吾も同じような厳しい信心環境の中で闘っていたことが分かります。
所領などの財産や、得宗家に連なる江間家の家臣という名誉などにこだわり、成仏という最高の財を失うことがないように。心の財を大切にする人にこそ、蔵の財も身の財も備わる、と。
考えてみますと、繰り返される政治家が起こす事件などは、心の財を忘れた結果であると言えます。国民のためといいながら、国民の前で平気で嘘を吐く政治家を他山の石として正しい信仰を貫き、心の財を積んでまいりましょう。心の財を磨けば、身の財も蔵の財にも不自由しなくなります。
いよいよ師走です。寒くなりますが、心を御題目と折伏で暖めることで元気に新年を迎えることが出来ます。希望を持って新しい年を迎えることが出来ますように、御題目と折伏を。
(朔日講〔聖寿801年12月1日〕にて)