法華経を本迹相対して論ずるに、迹門は尚ゝ始成正覚の旨を明かす。故にいまだ留難かゝれり。本門はかゝる留難を去りたり。然りと雖も題目の五字に相対する時は末法の機にかなはざる法なり。真実一切衆生色心の留難を止むる秘術は唯南無妙法蓮華経なり。
日 蓮 花押
四条金吾殿御返事
【現代語訳】
法華経の本門と迹門の内容を比較して論じますと、迹門は始成正覚の立場で説かれておりますので、留難が降り掛かってきます。本門では久遠実成が明かされますので留難はありません。しかし、文底独一本門の題目、三大秘法の妙法蓮華経の五字と比較した時に、末法の衆生の機根には相応しくない教えであることが明らかになります。永久に変わらない絶対の法、一切衆生の身と心の留難を止める秘術は、唯南無妙法蓮華経のみです。
【語句の意味】
◯本迹=法華経の本門と迹門のこと。法華経は二十八品に分けて説かれております。その中で、序品第一から安楽行品第十四までの前半の十四品を迹門、従地涌出品第十五から普賢菩薩勧発品第二十八までの後半の十四品を本門と呼びます。迹門の迹の字義は影ということで、ここでは本体の影、つまり本門の影という意味になります。本門の本は本地の本で、仏の本来の姿、本体のことです。迹門と本門の違いについて『開目抄』には「迹門の方便品では一念三千と二乗作仏が説かれていた。しかし、仏の本地が顕われていないので真実の一念三千も二乗作仏も定まったものとはならない。本門で仏の本地が明らかにされた時にはじめて真実の十界互具・一念三千が明かされた(趣意)」(御書536㌻)とあり、法華経本門で仏の真実の教えが明かされたことを述べられております。
○始成正覚=始めて正覚を成ずと読みます。インドに誕生し、19歳で出家をして、30歳で覚りを開き教えを説かれた釈尊のことです。「久遠実成」の仏に対する言葉です。
○留難=留には、とどまる、とめおく、後に残す等の意がある。難には、難点、欠点、短所、落ち度等の意がある。ここでは、迹門の教は仏に成るためには難がある、という意味になります。『御義口伝』には、「方便の教は泰然に非ず、安穏に非ざるなり。行於険径多留難故(ぎょうおけんぎょうたるなんこ)の教なり」(御書1,735㌻)とあります。方便(迹門)の教えでは成仏ができない、という意です。
○真実=仮ではないこと。方便ではないこと。永久に変わらない絶対のもの。
○色心の留難=色心は身体と心、肉体と精神、物質と精神、目に見える物と目に見えない物等。色と心は別々のものではありません。色心不二でありまた身土不二ですから、その留難を止めるのですから、成仏の境涯を得るための秘術が南無妙法蓮華経である、ということです。
私たちが信仰している御本尊様は、私たちの色心の留難を止める文底独一の南無妙法蓮華経です。コロナもインフルエンザも吹き飛ばしてしまうぞ、との気概で、御本尊様を強く信じ新しい年を迎えようではありませんか。
(広布唱題行〔聖寿801年12月6日〕にて)