『上野殿御消息』建治元年 54歳 御書 921㌻
せめてやる事なくば一日に二三度笑えみて向かへとなり。
◇笑顔の贈り物
お父様やお母様に贈り物ができなくても、一日の間に二度、三度笑顔で向き合いなさい。
当抄は建治元年 (1275年)、大聖人様が 54歳の御時、 17歳の南条時光に与えたものです。『本門取要抄』の別名があります。御眞蹟は伝わっておりません。なお、年中行事表には『上野殿御返事』となっておりますが『上野殿御消息』の誤りです。訂正して下さい。
当抄は、
ー、仏教以外の教えにある四徳について(御書の冒頭から 922㌻5行目)
二、仏教の四恩を明らかにされる(922㌻ 6行目から 15行目「目しゐの如し」まで)
三、仏教の中でも法華経だけが四恩を報ずることができることを明らかにされる (同㌻15行目「然る間、四恩」から 923㌻ 7行目まで )
四、法華経を強く信じる「一筋の信仰」を勧められる(923㌻8行目から最後まで )
に分けられます。
今月の御聖訓は、ー、仏教以外の教え、つまり外典にある四徳について述べられた箇所の御文です。
外典の四徳について大聖人様は、①父母に孝養あれ、②主に合ふて忠あるべし、③友にあふて礼あれ、④劣れるものに慈悲あれ、と示されております。
【語句の意味】
〇外典 (げてん) =仏の教えを内典 (ないてん)というのに対し、仏教以外の教えのことです。中国の儒教や道教、日本の神道、また新興宗教の一つである天理教なども外典です。創価学会や立正佼成会などは仏教を出発点にしておりますので、内典のようですが内実は外典です。 『守護国家論』には、
「外典の儒者(じゅしゃ)の内典を賊(ぬす)みて外典を荘(かざ)るが如し。謗法の失(とが)免(まぬか)れ難きか」 (御書141㌻)
とあります。儒教を信奉する者が仏教の教えを盗み、儒教を飾ったようなものである。法を謗った罪から逃れることはできないであろう、とのお言葉です。「謗法の失免れ難きか」を彼ら、特に創価学会員には教えなくてはなりません。
【御書を拝します】
最初に「①父母に孝養あれ」です。(御書 921㌻後ろから4行目)
「一に父母に孝あれとは、たとひ親はものに覚えずとも、悪 (あ )しざまなる事を云ふとも、聊 (いささか )も腹も立てず、誤る顔を見せず、親の云ふ事に一分も違へず、親によき物を与へんと思ひて、せめてやる事なくば一日に二三度えみて向かへとなり」
【現代語訳】
ーに父母に孝を尽くしなさいというのは、例えば、道理をわきまえない親であったとしても、また事実を曲げて解釈したり悪く言ったりするような親であっても、決して腹を立てたり顔をしかめたりしてはなりません。親の言うことに少しでも逆らわないようにして、親によいものを差し上げられるようにしましょう。差し上げる物がない場合には、日に二度、三度と笑顔で向かい合うようにしましよう。
【語句の意味】
〇孝=孝養・孝行。孝養は親をよく養うこと。孝行は親の心に従い、よく仕えること。親を大切にすること。またそのように心がけること。
〇ものに覚えず=①正気を失う、どのようにしたらよいか分からなくなる。②思いがけない、予想が付かない。③物事の道理をわきまえない等。ここでは③の意味で現代語を考えました。②の意味から考えますと、親が思いがけないこと、事実に反することを言ったとしても、とすることもできます。どちらにせよ、この立場からすれば、「何言ってんだ」と反発したいところですね。
〇誤る顔=誤るには気分を悪くする、心が乱れるなどの意があります。親のいうことが意に添わないもので、気分が悪くなったり心が乱されたとしても、それを顔に出さないように、との意味から、ここでは「顔をしかめたり」としました。
【手引き】
南条時光に、仏教以前の教えである儒教の「親孝行」について述べられております。ここで儒教を引用されたのは、次の御文から理解できます。
『下山御消息』
儒家の本師たる孔子・老子等の三聖は仏の御使ひとして漢土に遣 (つか )はされて、内典の初門に礼楽 (れいがく)の文を諸人に教へたり。止観に経を引いて云はく「我三聖を遣はして彼の震旦 (しんだん )を化す」等云云。妙楽大師云はく「礼楽前(さき)に馳せて、真道後に啓 (ひら )く」云云。 (御書1,138㌻)
【現代語訳】
儒教の根本の師である孔子・老子・顔回の三聖は、仏の使いとして漢土に派遣された人たちです。彼らの役目は人々を仏教に導く入門書として「礼楽の教え」を説くことでした。このことについては、天台大師が『摩訶止観』で「仏は三聖を遣わして中国の人々を教化しました」と述べている通りです。さらに、『摩訶止観』を解釈した妙楽大師の『摩訶止観輔行伝弘決』では「儒教で礼楽を説きその後に仏教を弘めました」とあります。
〇儒家=中国春秋時代 (紀元前8世紀から同5世紀頃)に孔子を祖として弘まった教え。儒教のこと。
〇礼楽=礼儀と音楽。「礼」は社会の秩序を定め、「楽」は人心を感化するものとして、古代中国の儒家によって尊重された。転じて文化。また文化的な生活。 (日本国語大辞典)
〇三聖=①老子・孔子・顔回のこと。②伏羲 (ふっき)・文王・孔子。③堯 (ぎよう)・舜・禹 (う)など。ここでは①の三人。
〇止観=『摩訶止観』の略称。中国の天台大師が講述した。この中で一念三千の法門が説かれ、すべての衆生が仏に成る可能性のあることを明らかにされた。
〇妙楽大師云はく=天台大師の弟子である妙楽大師が、前述の『摩訶止観』を詳しく解説したものが「摩訶止観輔行伝弘決」、その中の文。
〇馳せて=弘まって。
〇真道=真実の教え。ここでは仏教のこと。
〇啓く=弘まること。
外典で説く親孝行や年配者や幼い子、また病気などの社会的弱者を大切にするのは人としてあたりまえのことであり、それを説く儒教の教えの根本は仏教である、と大聖人様は仰せです。
しかし儒教の教えは、現世だけの孝養、現世だけの慈悲であることを、
『開目抄』で、
「過去・未来をしらざれば父母・主君・師匠の後世 (ごせ )をもたすけず、不知恩の者なり」 (524㌻)とご指摘になります。
【現代語訳】
(儒教では )過去世と来世を知ることができないのであるから、父母や主君や師匠の来世を助けることはできない。恩知らずの教えである。
この大聖人様のお言葉は、現世での孝養も大切であるが、最も大切なことは来世の孝養である、と教えて下さるものです。
【まとめ】
南条時光がこの御書を賜った十年前に、父の南条兵衛七郎は亡くなっておりますが、母尼は健在でした。そこで当抄では、母に対する現世孝養と、来世に生まれ変り新たな生命活動を開始ししている父親への孝養を教えて下さるのです。
その部分が、
三、仏教の中でも法華経だけが四恩を報ずることができることを明らかにされる (922㌻15行目「然る間、四恩」から923㌻7行目まで)です。そこには、
「されば法華経を持つ人は父と母との恩を報ずるなり。我が心には報ずると思はねども、此の経の力にて報ずるなり」とございます。御本尊様のお力で知らず知らずに親孝行ができている、とのお言葉を深く心に刻みたいものです。有難いではありませんか。嬉しいではありませんか。我が心では積極的に親孝行をしている、と思っていなくとも、亡き父母は御本尊様のお力で来世の苦しみから救われるのです。そうであるならば、親孝行ができる南無妙法蓮華経の信仰である、と自覚して積極的に信心修行に励むことで、より大きな孝養になることは疑いのないところです。
5月の1日は南条時光の 692回目の祥月命日です。また14日は母の日、来月の 18日は父の日です。南条時光のご孝養の信仰にあやかり、「御本尊様一筋の信仰」を貫き、最高の親孝行に励んでまいりましょう。
佛乘寺のハナミズキもあっという間に青葉に変わり、しばらくは過ごしやすい気候になると思われますが、コロナの第 9波が心配されます。ただしむやみに恐れる必要はありません。何故ならば、御本尊様根本、信心第一で日々を生きている私たちです。必ずご加護があります。ご精進・ご精進。
(朔日講[聖寿802年5月1日]にて)