『如来寿量品』
此大良薬(しだいろうやく) 色香美味(しきこうみみ) 皆悉具足(かいしつぐそく)
汝等可服(にょとうかぶく) 速除苦悩(そくじょくのう) 無復衆患(むぶしゅげん)
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◇南無妙法蓮華経は最高の薬・万能の薬
南無妙法蓮華経は最高の薬です。色も香もよく苦くもない薬です。全ての病を良くする効能が具わっています。皆さん服用しなさい。速かに苦悩は除かれます。復衆の患無けん。
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【寿量品の前後の文】
又善男子。諸仏如来。法皆如是。為度衆生。皆実不虚。譬如良医。智慧聡達。明練方薬。善治衆病。其人多諸子息。若十。二十。乃至百数。以有事縁。遠至余国。諸子於後。飲他毒薬。薬発悶乱。宛転于地。是時其父。還来帰家。諸子飲毒。或失本心。或不失者。遙見其父。皆大歓喜。拝跪問訊。善安穏帰。我等愚凝。誤服毒薬。願見救療。更賜寿命。父見子等。苦悩如是。依諸経方。求好薬草。色香美味。皆悉具足。擣簁和合。与子令服。而作是言。此大良薬。色香美味。皆悉具足。汝等可服。速除苦悩。無復衆患。其諸子中。不失心者。見此良薬。色香倶好。即便服之。病尽除愈。余失心者。見其父来。雖亦歓喜問訊。求索治病。然与其薬。而不肯服。所以者何。毒気深入。失本心故。於此好色香薬。而謂不美。
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【書き下し文】
又善男子、諸仏如来は、法、皆是の如し。衆生を度せんが為なれば、皆実にして虚しからず。譬えば、良医の智慧聡達にして、明らかに方薬に練し、善く衆病を治するが如し。其の人諸の子息多し、若しは十、二十、乃至百数なり。事の縁有るを以て、遠く余国に至りぬ。諸の子後に、他の毒薬を飲む。薬発し悶乱して、地に宛転す。是の時に其の父、還り来って家に帰りぬ。諸の子毒を飲んで、或は本心を失える、或は失わざる者あり。遥かに其の父を見て、皆大いに歓喜し、拝跪して問訊すらく、善く安穏に帰りたまえり。我等愚凝にして、誤って毒薬を服せり。願わくは救療せられて、更に寿命を賜え。父、子等の苦悩すること是の如くなるを見て、諸の経方に依って、好き薬草の色香美味、皆悉く具足せるを求めて、擣簁和合して、子に与えて服せしむ。而して是の言を作さく、此の大良薬は、色香美味、皆悉く具足せり。汝等服すべし。速かに苦悩を除いて、復衆の患無けん。其の諸の子の中に、心を失わざる者は、此の良薬の色香、倶に好きを見て、即便之を服するに、病尽く除こり愈えぬ。余の心を失える者は、其の父の来れるを見て、亦歓喜し、問訊して、病を治せんことを求索むと雖も、然も其の薬を与うるに、而かも肯えて服せず。所以は何ん。毒気深く入って、本心を失えるが故に、此の好き色香ある薬に於て、美からずと謂えり。
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【現代語訳】
たとえば、智慧が聡く全てに達している優れた医師がいたとします。その医師は薬を調合したり、さまざまな病気に対応して適切な治療を施すことに熟達しておりました。またその医師には多くの子供たちがおりました。10人、20人、あるいは百数十人の子供たちがいたとしましょう。医師は、ある時、所用で外国へ出かけました。子供たちは(父が出かけた)後に、薬棚にあった薬 (毒薬)を飲んでしまいました。その薬を飲んだことにより、(子供たちは)悶え、悩乱して、地の上でころげまわりました。その時に、父が (外国から)家に帰ってきました。毒薬を飲んだ子供たちは、本心を失ったままの者もおれば、あるいは失わなかった者たちもいました。子供たちは、帰ってくる父の姿をはるかに見て、みな大いに喜んで、ひざまずいてお辞儀をして、丁寧に言いました。「よく御無事でお帰りくださいました。愚かな私たちは、薬棚にあった毒薬を誤って飲んでしまいました。どうか治療して下さい。そして寿命をお与え下さい」と。父は、苦しみ悩んでいる子供たちの姿を見て、さまざまな処方によって、色・香り・味ともにそろったすぐれた薬草を探してきて、それを臼でつき、ふるいにかけ、調合して、子供たちに与え、服用させました。そして、つぎのように言いました。
「このすぐれた良薬は、色・香り・味ともにすべてそなえています。子供たちよ、これを飲みなさい。すみやかに苦しみや悩みが除かれて、病はすべて治ります」と。
毒薬を飲んだ子供たちの中で、本心を失わない者は、色がよく香りが素晴らしい良薬を見て、いわれるままに素直な心ですぐさま服用したところ、それまでの苦しみがたちまちに除かれて治癒しました 。
しかし、毒薬を飲み本心を失ってしまっている子供たちは、自分たちの父が帰ってきたのを見て、同じように喜び、ひざまずいてお辞儀をして丁寧に、病を治してくれるように求めましたが、父親である医師から与えられた薬を、あえて服用しようとはしませんでした。そのわけは、毒薬の効き目が深く心の中にまで行きわたり、本心を失ってしまっていたためです。そのすばらしい色・香りある薬を、(色も香りも)良くないと思ったからです。
〇良き医師=大聖人 病の子供=私たち
良医病子(ろういびょうし)の譬えがここから始まります。すぐれた医師と病を得たその子供、ということです。有名な法華経の七つの譬えの中でも大切なものです。
文底の信仰では、「良医」は大聖人様。「病子」が私たち末法の衆生。そして、「大良薬」は三大秘法の南無妙法蓮華経であることはいまさら申すまでもありません。幸いなことに、私たちは毒薬を飲みましたが、医師である父の勧めにしたがい、素直に良薬を飲むことができておりますので「更賜寿命」は疑いありません。「更賜寿命」はさらに命を賜る、と言うことですから、「元気で長生きができる」と読み代えることができます。換言すれば、南無妙法蓮華経の御本尊様の大きなおカを教えて下さる経文です。御本尊様の薬を飲む行為は、お題目を唱え、折伏を行うことですから、日蓮正宗の信仰は、寿命さえも延ばすことができる大きな功徳があるのです。
〇薬も飲み方によっては毒薬になる
ここでは、もう一つ学ぶことがあります。それは薬であっても飲み方次第では毒薬になってしまう、ということです。
念仏や真言の教えを信じている人々は、仏の教えを信じているようですが、自分勝手な信仰です。勝手に薬棚から薬を飲んだ子供たちと同じなのです。経文の「飲他毒薬」と説かれる通りの姿です。
薬の棚から子供たちがめいめいに薬を取り出して服用したことが「誤服毒薬」です。つまり、誤った薬の飲み方は、薬効を毒に変える原因となった、ということです。三毒強盛で、戦争や疫病に苦しめられる末法の衆生の姿がここに示されております。今日的な言い方をすれば、「副作用」に苦しめられる姿といえます。人ごとではありません。
〇迷い苦しみの生活が「薬発悶乱」
副作用は「薬発悶乱。宛転于地」です。前述しましたように、私たち末法の衆生が、誤った信仰をすることは、誤った薬を服用して、その副作用で苦しむ姿に例えられております。御経文の「薬発」は薬の効き目が表れることで、この場合の「薬発」は「平癒」ではなく「悶乱」ですから有り難くないものです。悶はもだえ苦しむこと、乱は正常な意識を失い物事の区別ができなくなる状態をいいます。悶乱を辞書で引きますと、悶絶・悶絶躍地 (もんぜつびゃくじ)とあります。もだえ苦しみ転げ回ることです。御経文の「宛転于地」と同じ意です。
私たちが行う折伏は、これらを教えてあげることなのです。阿弥陀経や般若心経なども、仏の教えには違いありません。薬には違いないのですが飲み方が違うゆえに毒薬となっているのですよ、いま私が正しい飲み方を教えましょう、と。これが折伏なのです。
朝夕の勤行の時に、この箇所になりましたら、私たちは素直に「大良薬」を飲むことができている、ありがたい、と感謝し、本心を失って毒薬を飲んでいる人達に、正しい薬の飲み方を教えてあげよう、という慈悲の心をもって読経することが仏のお使いの立場であるといえます。
成仏は難しいことはありません。ただ素直に教えを受けるのみです。成仏とは本心を取り戻すことなのです。私たちの本心は皆仏なのです。仏身が悪縁により表に出ていないだけです。外からもってくることではないのですから、難しく考える必要はありません。日蓮大聖人様の教えを信じ実践するか否か、ただこれだけです。そして教えることができる自分であるように御本尊様に祈りましょう。
〇本心を失った者と失わない者
毒薬の副作用で、本心を失う子供と本心を失わない子供に分かれましたが、どちらも父親の顔を見て、どうかこの苦しみを取り除くことができますように、と願っております。つまり父の顔や力は忘れていないのです。
この例えから、どのような衆生であっても心の奥底には仏を求める心のあることが示されていると思います。「仏性がある」という言い方が適当かどうかわかりませんが、本心を失っているように見えてもその奧には真っ当な心がある、ということです。本心を失った者は素直に教えに従うことができません。各々の自己中心の心でさらに毒薬を飲み、苦界に堕ちているのが今日の状況です。誤った信仰を少しも疑うことなく、盲信する人々が堕ちる無間地獄です。それらの「毒薬」を絶ち「良薬」を与えるのが私たち法華講衆の使命であり、折伏の大切なところです。
〇最高の薬は「色香美味」
「色も香りも味も良い薬」が父親の与えてくれたものです。父親が「擣簁和合」と苦心した薬です。「擣」には、搗(つ)く、たたくなどの意味があります。薬草を臼の中に入れて搗き、薬の成分を取り出す作業です。「簁」は 篩(ふるい)のことです。搗(つ)いて粉々になった薬草をさらに篩にかけて、混じりけのない成分を抽出する作業のことです。不要なものは取り除き、必要なものだけを集めて調合する作業が「和合」です。
このようにして、念仏や真言などの方便の教えを捨て去り(正直捨方便)、混じりけのない純粋で最高の教えを説かれ、末法の衆生に与えられました。
〇素直に飲めば病は癒える
繰り返しますが、最高の薬であっても飲まなければ効き目は出ません。目の前に置いてあっても、見ているだけでは病気は良くなりません。当たり前です。御経文には「本心を失っていない者は父親のいう通りに薬を飲んだところ、たちまちに病が治癒した」と説かれます。
「即便服之 病尽除癒」というところです。
私たちも、素直にお題目を唱えたならば、過去の罪障はことごとく消滅するのです。御本尊様のお力を信じ、大聖人様が仰せ下さるように折伏に励むならば必ず罪障消滅の大きな功徳が受けられます。
大聖人様の教えは絶対である、このことを強く心に入れるならば、願いも叶い、過去の罪も消滅し、未來を見抜き筋道の通った生活により、幸福な境涯を得ることができるのです。
〇今日のポイント
「擣簁和合」した薬は純粋で混じりけのない最高の薬である。その薬の名前は「南無妙法蓮華経」である。いま私たちはどんな病も治る万能で最も優れた薬を服用している、と確信し、朝夕の勤行をしましょう。今月は旧のお盆です。お盆休みもあります。十年に一度の暑い夏、といわれておりますが、仏道修行に励み、煩悩の病を治癒させる効き目のあるお題目を唱えましょう。周りの方々と共に服用いたしましょう。
(朔日講[聖寿802年8月1日]にて)