朔日講拝読御書〔聖寿802年12月1日〕
『開目抄』文永9年2月51歳 (御書526㌻)
一念三千の法門は但法華経の本門寿量品の文の底に秘してしづめたまへり。竜樹天親は知って、しかもいまだひろめたまわず、但我が天台智者のみこれをいだけり。
「一念三千」は中国の天台大師が『摩訶止観』で『夫(それ)一心に十法界を具す。ー法界に又十法界を具すれば百法界なり。ー界に三十種の世間を具すれば百法界に即ち三千種の世間を具す。此の三千、ー念の心に在り。若し心無くんば已やみなん。介爾(けに)も心有れば即ち三千を具す』と説かれたことに起因いたします。ここで示される一念は瞬間・刹那の意です。その瞬間の一念に十界があり、十界のそれぞれに十界が具わり百界となります。さらに百界に十如是が具わり千如是となります。千如是に衆生世間・五陰世間・国土世間が具わって三千という数量になるのです。ただし、この三千は三千という数量をあらわすのではありません。私たち衆生の生命を一念、森羅万象を三千として、一念に三千すべてが収まっていることを意味します。
一念三千の言葉自体は天台大師が明かしたものですが、大聖人様は末法の御本仏のお立場から、法華経迹門に説かれる一念三千、法華経本門に説かれるー念三千、法華経本門寿量品の文の底に説かれる一念三千と三重に配当して御指南されます。日寛上人はこのことを「三重秘伝」と仰せになり『三重秘伝抄』で、「応に知るべし、『但法華経』の『但』の字は是れ一字なりと雖も意は三段に冠するなり。謂わく、一念三千の法門はー代諸経の中には但法華経、法華経の中には但本門寿量品、本門寿量品の中には但文底秘沈なり云々。故に三種相対は文に在って分明なり」 (『六巻抄』 7㌻ )と日蓮正宗に相伝される御法門をご教示下さるのです。
御文にある三種とは教相判釈である五重相対、すなわち①内外相対、②大小相対、③権実相対、④本迹相対、⑤種脱相対の中の、③権実相対、④本迹相対、⑤種脱相対の三種類を指します。五重相対は大聖人様が『開目抄』で説き示されたもので、法華経寿量品の文の底 (文底)に秘し沈められた、南無妙法蓮華経こそが最高の教えであることを、経文を引用されて論証されます。『観心本尊抄』では、五重三段が説き明かされて、文底下種の南無妙法蓮華経が末法の唯一の法体であり、南無妙法蓮華経の御曼荼羅御本尊であることをお示し下さっております。
因みに、仏法の教相判釈でよく知られているものに天台が立てた「五時八教判」があります。これは釈尊の説かれた教えを、説かれた時代、説く相手の機根、また内容の浅深・高低・勝劣などに分類し、法華経こそ最高の教えであることを証明したものです。
さて、日寛上人が『三重秘伝抄』でー念三千は「但法華経」のみに説かれている、とされますのは、法華経以前に説かれた爾前権教では、十界互具が明かされておりません。従って一念三千も説かれておりません。法華経迹門において二乗の成仏・十界互具が明かされることでー念三千が顕かにされました。ゆえに、爾前権教よりも法華経が勝れていることになりますので「但法華経」の文字が権実相対を意味しているのです。
次に「但本門寿量品」の御文につきましては、本迹相対であるとされます。法華経の釈門で一念三千が説かれたとはいえ、未だ仏の本地が明かされておりませんので真実の一念三千ではありません。本門寿量品において仏の本地が明かされて初めて真の一念三千になりますので、本門が勝れ迹門が劣る、と示されるのです。
三番目の「但文底秘沈」の御文は、種脱相対である旨を教えて下さっております。「文底」の御文は「文上」に対するもので、「法華経寿量品の経文の文の底」の意です。この「文底」の御文から文上、つまり法華経の寿量品には文上の寿量品と文底の寿量品の二通りあることが分かります。寿量品の文上では、「我本行菩薩道」と釈尊が菩薩の修行をして仏に成ったことは説かれておりますが、修行の根本が明かされておりません。それに対して、大聖人様は釈尊が修行をした根本の法は「文底下種の南無妙法蓮華経」であることを御指南下さっておりますので、文底の教えこそが真実の一念三千であることが明確なのです。
『観心本尊抄』には、
「在世の本門と末法の初めは一同に純円なり。但 (ただ)し彼は脱、此は種なり。彼は一品二半、此は但題目の五字なり」 (御書656㌻)
とあり、釈尊と大聖人様の仏法の違いを示されております。釈尊の「法華経本門寿量品」の教えも、末法で日蓮大聖人様が説かれる「南無妙法蓮華経」も純粋で円満で欠けるところのない完璧な教えである。但し、釈尊は脱益仏、大聖人様は下種の仏の違いがある。釈尊の教えは法華経一品二半であり、大聖人様は南無妙法蓮華経の五字である、と述べられて下種の仏様と脱益の仏の違いを明かされております。
私たちは本未有善といって、仏に成る種をもたない衆生です。種がなければ仏に成れませんので、下種の仏様が種を植えて下さるのです。種は南無妙法蓮華経です。南無妙法蓮華経と唱へることで南無妙法蓮華経の種が大きく成長します。成仏という実がなる時を楽しみにして日々の精進を重ねようではありませんか。
(朔日講〔聖寿802年12月1日〕にて)