朔日講拝読御書〔聖寿803年3月1日〕
『四条金吾釈迦仏供養事』 建治 2年 7月 15日 55歳 御書994頁10〜12行目
なによりも日蓮が心にたっとき事候。父母御孝養の事、度々の御文に候上に、今日の御文なんだ更にとまらず。我が父母地獄にやをはすらんとなげかせ給ふ事のあわれさよ。
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<来世の父母を思う心 >
日蓮がなによりも貴く思うことは、貴方から賜る度々の手紙に認められたご両親へのご孝養のお心です。特に今日の手紙を拝見して日蓮は涙を止めることができません。そこには「父母が地獄に堕ちて苦しんでいるのではないか」と記されています。現世ばかりか、来世のご両親へのご孝養のお心に、日蓮は深い感銘を受けております。
題号「四条金吾釈迦仏供養事」について
当抄は建治 2年(1276年)7月15日、日蓮大聖人様 55歳の御時に身延から鎌倉の四条金吾に与えられたものです。御眞蹟はかっては身延にありましたが、残念なことに火災で失われ断簡 (一部分 )が鎌倉の身延派の寺院に伝えられております 。
当抄の冒頭に「御日記の中に釈迦仏の木像一体等云云」とあり、続いて仏像の開眼供養の事が述べられています。四条金吾が手紙 (御書には「※日記」)で釈尊の仏像を造立したことをご報告したことに対し、仏像の開眼供養は法華経に限られることを示されていることから「四条金吾釈迦仏供養事」と後世の者が題号を付けたものです。
※【日記】①日々の出来事や感想などの記録(広辞苑第七版)②事実を記録すること。またその記録。実録(精選版日本国語大辞典)等とあります。弘安 3年 10月 24日の『上野殿母尼御前御返事』には「南条故七郎五郎殿の四十九日御菩提(ぼだい)のために送り給ふ物の日記の事、鸞目(がもく)両ゆひ(結)・白米一駄(いちだ)・芋一駄・すりだうふ(摺豆腐)こんにやく・柿ー籠 (ひとこ)・ゆ(柚)五十等云云」 (御書1,507㌻)とありますように、上野尼が四十九日の追善供養を願い出た時に、御供養の品々の名目を一々に書き記した送り状のことを「日記」と述べられております。四条金吾が日々の記録をそのままお送りすることはないと思われます。以上のことから、「日記」を手紙の意味に拝しました。
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《四条金吾が釈尊の仏像造立 ? 》
四条金吾は立宗直後からの信徒で、大聖人様の竜の口の※発迹顕本の場にもお供をしております。また佐渡の配流先にもお尋ねし、身延への参詣も欠かすことがありませんでした。念仏の熱心な信徒であった主君・江間光時に対しても、大聖人様の正法正義を説いて厳しく破折をするなどで、当時の信徒の中心的な存在でした。文永10年(1273年)8月には御本尊様を授与されております (『経王殿御返事』参照 )。
このような四条金吾がなぜ釈尊の仏像を造立したのでしょうか。また大聖人様がそのことを容認されたのでしょうか。不思議に思えます。
このことについて、総本山第 26世日寛上人は『末法相応抄』で、「ーには猶(なお)是れー宗弘通の初めなり、是の故に用捨時宜(ようしゃじぎ)に随うか。二には日本国中一同に阿弥陀仏を以て本尊と為す、然(しか)るに彼の人々適(たまたま)釈尊を造立す、豈あに称歎せざらんや。三には吾が祖の観見(かんけん)の前には一体仏の当体全く是れ一念三千即自受用の本仏の故なり」 (六巻抄140㌻)と、三つの理由を挙げて教えて下さっております。
一つ目は、宗旨建立から間もない時期の大聖人のご判断である、ということです。大聖人様が素晴らしい御僧侶で、その御僧侶がお説きになる法華経だから信仰する、という段階でのこととも拝されます。大聖人様が、「五重相対」や「五重三段」の御法門を門下一般に示されたのは、佐渡で著された『開目抄』や『観心本尊抄』でした。四条金吾や富本常忍なども御法門については未だ深まっていなかった時期であったと思われます。そのようなことから、 日寛上人は「弘通の初め」・「用捨時宜に随う」とされたのだと拝します。
二つ目は当時の人々の多くが阿弥陀仏を本尊として崇めている中で、釈尊像を造立したからです。
『立正安国論』を拝しますと、
「釈迦の手の指を切りて弥陀の印相(いんそう)に結び」 (御書247㌻)と当時の有様が記されております。ここにある「印相」とは仏像の手の形のことで、印相をみるとこの仏は釈尊、この仏は阿弥陀仏と見分けがつきます。法然が説いた念仏信仰は、阿弥陀仏が唯一無二の仏であるとして、釈尊の仏像を信仰の対象としては認めませんでした。そこで寺院などに安置されている釈如像の手の指を切り取り、阿弥陀仏の印相に取り替えたりしたのです。このような釈尊否定の教えが弘まっている鎌倉時代に、四条金吾が釈尊像を造立しましたので、一応は認められた、と拝されます。
三つ目は、御本仏の御眼からすれば、釈尊像も御本仏の胸中に収まる、ということです。
しかし、大聖人が四条金吾に対して仏像造立を認められているからと言って、現在の私たちが仏像の造立をしても良いわけはありません。現在は一宗弘通の初めでもなく、念仏信仰一色でもありません。日々御書を拝して大聖人様からの相伝の仏法を学んでおります。
なによりも、久遠元初自受用報身如来であられる日蓮大聖人様が末法の私たちのために、三大秘法総在の本門戒壇の大御本尊様を御建立下さっているからです。ゆえに、たとえ釈尊の像であっても造ったり所持したりすることは大謗法です。阿弥陀仏や大日如来などの仏像や絵に描いた物も同じです。信仰の対象ではない、美術品だといっても、その奧には謗法の念慮がありますので十二分に注意を払わなくてはなりません。成仏の上から心得ておかなければならないことです。
先祖から伝えられている、お土産などで頂いた物で、心配な物があればご相談下さい。
※【発迹顕本(ほっしやくけんぽん)】迹を開いて本を顕すと読む。発は開く。迹は垂迹のことで仮の姿。顕はあらわす、明らかになる。本は本地、本来の姿。
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《釈尊の発迹顕本》 法華経寿量品第十六に説かれる。法華経を説く前の釈尊は、インドに生まれて修行に励み覚りを開き釈尊になった、と説いていた。しかし、寿量品で久遠の昔に覚りを開いて以来、常にこの娑婆世界で人々を導いてきたのである、と明かされたことをいう。したがって、釈尊の迹・仮の姿は、インドで誕生して 19歳で出家して、 30歳で仏の覚りを得た後、 72歳までの 42年間に、華厳宗の「華厳経」や念仏宗の「阿弥陀経」・「無量寿経」、また真言宗の「大日経」や「金剛頂経」、さらに「般若心経」などの経典を説いたことやその期間を指す。釈尊の本地は法華経寿量品で明かされた、久遠の昔からの仏、久遠実成の仏である。これは法華経に先立って説かれた「無量義経」に、「四十余年未顕真実 (これまでの四十有余年の間は、未だ真実を顕かにしていない)」とあり、法華経方便品では、「正直捨方便 (素直「正直』な心になって、仮の教え『方便』を捨てよ )」と、釈尊自らが説かれていることからも明らかである。ゆえに、仏教徒ならば、この仏の言葉に素直な心で随うべきであり、そうすることで素敵な徳を積むことができる。
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《日蓮大聖人の発迹顕本》 文永8年(1271年)9月12日の竜の口法難で、「上行菩薩」のお立場から、末法の御本仏日蓮のお立場を明かされたことを言う。大聖人は、建長5年(1253年)4月28日に立宗を宣言せられ、文永8年までの間、南無妙法蓮華経の御題目を弘められた。この間は上行菩薩のお姿を示されている。これは釈尊が法華経神力品第二十一で、末法に法華経を弘めることを上行菩薩に託したことに由来する。これが大聖人の迹・仮のお姿である。このことを外用(げゆう)のお姿という。外用に対して内証深秘(ないしょうじんぴ)のお姿があり、そのお姿を「久遠元初自受用報身如来」と申し上げる。これは日蓮正宗のみに相伝される甚深の法門である。御書を拝すると、
『百六箇抄』には、
「下種の法華経の教主の本迹 自受用身は本、上行日蓮は迹なり」(御書1,695㌻)とある。仏になる種を持たない末法の私たちに、成仏の種を植える法華経の教主にも本地と垂迹の違いがある。竜の口法難より後の日蓮は久遠元初自受用報身であり、その姿が本地であり、立宗以来上行菩薩の再誕として南無妙法蓮華経の題目を弘めていたときの日蓮は垂迹であると明示遊ばされている。
『下山御消息』には、
「教主釈尊より大事なる行者を、法華経の第五の巻を以て日蓮が頭(こうべ)を打ち」 (御書1,159㌻)とある。これは竜の口法難の際、大聖人を召し捕りにきた北条幕府の執事・平頼綱の意を汲んだ者が、法華経第五の巻で大聖人の頭を打った時のことを述べられたもの。大聖人と釈尊のご関係を明確に「教主釈尊より大事な行者」と述べられている。「行者」が「日蓮」を指していることは申すまでもない。
『三沢抄』では、
「法門の事はさど(佐渡)の国へながされ候ひし已前の法門は、たヾ仏の爾前の経とをぼしめせ」 (御書 1,204㌻)とある。大聖人が佐渡に配流される以前に説いた法門は、釈尊が法華経を説く前に説いた阿弥陀経や大日経などの爾前経と同じであると思え、と述べられ、大聖人の御法門にも本と迹のあることが示されている。
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《今月の御聖訓》
今月の御聖訓の直前にある御文に、「是(これ)より外に御日記たうと(貴)さ申す計りなけれども紙上に尽(つ)くし難(がた)し」とあります。
それに続く御文が、
「なによりも日蓮が心にたっと(貴)き事候」
です。御意を拝しますと、このほかにも貴方から頂いた日記には貴く思うことが書かれており、それらについて一々に御返事をすることはできません。その中にあって、なによりも 日蓮が貴く感じたことがあります、となります。
この部分から、大聖人様が四条金吾の手紙で、最も貴く思われたことは、「父母御孝養の事」だったということがお分かりになると思います。釈尊像を造ったことよりもなによりも、父母の来世を心配する親孝行な心が第一である、最も貴く思う、と大聖人のお言葉です。さらに、四条金吾の親孝行な心を知って日蓮は涙がとまりません、とまで仰せです。このように、四条金吾への手紙を通して大聖大様は私たちに「父母御孝養の事」がなによりも貴いことであり、亡くなられた父母の追善供養に励むことを教えて卜さいます。
ところが、親孝行に対する世間一般の考えには、親孝行を勧めることで子の 自由や発展が制限される可能性や、親の期待に添うために子が自らの希望や目標を犠牲にすることがある、との懸念があります。また、親孝行を強調することで、封建時代のような家父長制が再び浮上し、親の権威が過度に尊重され、親子間の力関係が不均衡になる恐れも指摘されます。さらに、このような親了関係が社会全体に影響を与え、個々の自由や尊厳を尊重する社会から、全体主義的な社会へと変質する可能性がある、という見方まであります。
はたしてそうでしょうか。大聖人様は『報恩抄』で、「夫老狐は塚をあとにせず、白亀は毛宝が恩をほうず。 畜生すらかくのごとし、いわうや人倫をや」 (御書999㌻)と述べられております。これは、年老いた狐は生まれ育んでくれた巣 (塚)に恩義を感じ、死にゆくときに足を向けるようなことはしない。子供に捕まり殺されるところを、毛宝という武将に助けられた , 白い亀は、毛宝が戦いに敗れて川岸に追い詰められたときに、昔の恩を忘れず、毛宝を背中に乗せて対岸に渡し命を救った。畜生でさえ恩を忘れないのである。人間であればなおさら恩を忘れてはならない、というものです。
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《知恩・報恩》
大聖人様はこの御文で、恩を知ること、恩を忘れないこと、恩に報いることを教えて下さるのです。親の恩や愛情に気づくことで感謝の思い、親孝行の意識が生まれるのではないでしょうか。つまり、感謝の心が親孝行の基盤となり、親に対する思いやりや尊敬を生みます。親への尊敬は、親子の関係を強化することになります。親の恩に気づき感謝することで、親子の絆が深まります。この絆が親孝行の行動へとつながり、家族全体の結束を高めることに繋がります。親孝行は子から親への一方通行ではなく、恩を知り、感謝し、親孝行に努めることで、親もさらに子に対する愛情が深くなり、親子の関係はさらに円満になります。親が昨に恩を施し、子がその恩に感謝し、親孝行の行動をとることで、また新たな恩が生まれるのです。このようにして、親子間の愛情と尊敬が深まり、親孝行が継続的に行われることにつながります。この関係を大聖人様は三世の生命の上にあてはめて、日蓮大聖人様に願い出る追善供養が最高の親孝行となるのですから、常に大聖人様に父母の追善供養を願い出る四条金吾の『父母孝養の事』が特に尊いと仰せなのです。
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《親孝行は 隷属に非ず》
ただ、私たちが心得ておかなければならないことは、親孝行と 言っても親に「隷属」することではない、ということです。隷属という厳しい言葉を使いましたが、どう考えても隷属しているとしか思えない場面にたびたび遭遇します。折伏の時が特にそうです。親孝行ができない理由を、「法華経が正しいことは理解できます。しかし、先祖代々念仏宗で、墓も念仏のお寺にあります。両親もそこに眠っておりますので、宗旨を変えることはできません」といいます。そのような方のために大聖人様は次のお言葉を残して下さっております。例えば、『下山御消息』です。
「世間の人々の思ひて候は、親には子は是非に随ふべしと、君臣師弟も此くの如しと。此等は外典をも弁へず、内典をも知らぬ人々の邪推(じゃすい)なり。外典の孝経には子父・臣君靜ふべき段もあり、内典には『恩を棄てゝ無為に入るは真実に恩を報ずる者なり』と仏定め給ひぬ。悉達(しっだ)太子は閻浮 (えんぶ)第一の孝子なり。父の王の命を背きてこそ父母をば引導し給ひしか」 (御書1,160㌻)
御文の意を拝しますと、「世間の人々は、子は親の言うことやすることに対して、道理に叶うことばかりではなく、道理に背くようなことであっても随わなければならない、と思っている。主君と家臣、師と弟子の関係でも同じである。しかし、このような考えは儒教などの外典や、仏教の教えを知らない誤った考えである。孝経には子が父を諫め、家臣が ,君を諫言することの大切さも説かれている。経文には『親の恩を捨てて、絶対の真理に入ることは、親の恩に報いる者である』と仏は定められている。悉達太子(釈尊が出家する前の名前)は世界中でー番の親孝行者である。父親の浄飯王の命に背いて出家をして仏にな ることで、父母を導くことができたからである」となります。
ここに示されておりますように、親の恩を知り、恩に感謝する最も優れた方法が「無為に入ること」です。無為は覚りの道に入ること、常住で不滅の真実の覚りのことですが、私たちの立場では、仏様の教えを正しく素直に行ずることが無為の道に入ることになります。もう少し申し上げれば、日蓮大聖人様の顕して下さった、南無妙法蓮華経の御本尊様を受持して、南無妙法蓮華経と唱えることが「無為に入る」ことになります。南無妙法蓮華経と唱へて御両親をはじめ亡き方々の御回向をすることが真の孝養です。ご存命の御両親には、南無妙法蓮華経の教えを勧め、導くことに尽きます。真の親孝行は自らの心に随うものではなく、仏様のお心に随うことを教えて下さっていると思います。仏様の心に随うと言うことは、勤行・唱題をすることや、御書を拝するなどして、常に大聖人様に見守られていることを自覚することではないかと思います。そのような日々を過ごすことで、いつのまにか仏様の価値基準を我が心に持つことができるようになると信じます。右にも左にも曲がらず、上にも下にも偏らない真ん中の判断ができるようになることを信じて励んでまいりましょう。
余談ながら、御書全体を拝して当抄の題号は「四条金吾父母孝養の事」あるいは「四条金吾父母孝養御書」がふさわしいように私は考えます。
今月は御彼岸がございます。日蓮大聖人様が教えて下さり、日蓮正宗富士大石寺に正しく伝えられている追善供養を執り行って参りましょう。
花粉症の皆さまにはお見舞いを申し上げます。今年は暖冬で花粉の飛散も多いようです。ご自愛をお祈り申し上げます。
(朔日講〔聖寿803年3月1日〕にて)