広布唱題行拝読御書〔聖寿803年5月5日〕
5月1日は南条時光の祥月命日です。総本山では祥月命日のこの日に、御法主上人の大導師のもと全山僧侶が出仕して「大行会(だいぎょう会)」と称する法筵が執り行われます。因みに「大行」は時光の法名です。また、毎月1日の丑寅勤行は、7日、13日、15日と併せて「衆會(しかい)」として奉修されております。これにも全山の僧侶が出仕します。
お寺の過去帳にも、皆さまの過去帳にも「総本山大旦那大行尊霊 正慶元年五月 南条時光」と認められております。正慶元年は1332年で、本年は693回目の御命日になります。享年は74ですから、当時としては御長命の部類に入るのではないでしょうか。大聖人様が御入滅になってより51年後にあたります。
毎月1日に佛乘寺で御経日(朔日講)を奉修するのは、南条時光の遺徳を称えるとともに、後に続く私たち法華講衆の決意を新たにする意義を込めたものです。
時光は正元元年(1259年)に生まれました。この時大聖人様は38歳、日興上人は13歳です。
時光が7歳の時に父・南条兵衛七郎が病のために亡くなりました。父の兵衛七郎は富士上野郷の地頭です。地頭職の公事(くじ)で鎌倉に出仕をしていた際に、大聖人様の折伏を受け、それまでの念仏信仰を捨てて法華経の御題目を唱えるようになりました。
時光は、この父親の信仰を受け継ぐばかりか、多くの人々を折伏して正法に導きました。さらに、大聖人様滅後身延の地頭・波木井実長の犯した謗法を因として、身延を離山された第二祖・日興上人を富士上野にお招きし、現在の総本山大石寺を建立寄進されました。
ここで凡夫の私が思うことがあります。それは、父親は大聖人様から「念仏宗の信仰では無間地獄に堕ちます」と聞いて、南無阿弥陀仏を捨てて南無妙法蓮華経と唱えるようになったにもかかわらず、なぜ幼い私たちを残して死んでしまったのか、という疑いを時光は抱かなかったのか、ということです。
しかし時光は疑いを抱くどころか、「相構へて相構へて、心を翻(ひるが)へさず一筋に信じ給ふならば、現世安穏後生善処なるべし」(御書923㌻)の御教えのままに「一筋の信仰」を生涯に亘って貫きました。
本日の拝読御書は時光が18歳の時に賜ったものです。
『上野殿御返事』 建治3年5月15日 56歳
五月十四日にいものかしら一駄、わざとをくりたびて候。当時のいもは人のいとまと申し、珠のごとし、くすりのごとし。さてはおほせつかはされて候事、うけ給はり候ひぬ。(御書1,121㌻)
南条時光が建治3年5月14日に、里芋一駄(二俵)を大聖人様に御供養申し上げました。5月は今も昔も農繁期です。そこで
「当時のいもは人のいとまと申し、珠のごとし、くすりのごとし」
と仰せになります。農繁期で猫の手も借りたいときに、日蓮のことを思ってわざわざ送られた里芋を前にして、尊い宝の珠、貴重な薬のように思う、とお認めです。大聖人様への真心の御供養に励む時光と、時光の信心を愛でてくださる大聖人様のお言葉に、有り難さが身に沁みるではありませんか。
続いて、
「さてはおほ(仰)せつかはされて候事、うけ給はり候ひぬ」
とあります。このお言葉から、御供養と共に時光がお手紙を差し上げたことと、それについての御返事であることがわかります。5月14日に届けられた手紙に対して翌15日に御返事を出されております。大聖人様は一夜じっくりとお考えの上御返事をお認め下さいました。また、この御返事から、父親との死別を堅い信心で乗り越えた時光に対して、信心を妨げようとする周りの者たちの様々な働きかけがあることが知れます。
なかでも、
「日蓮房を信じてはよもまどいなん、上の御気色もあしくなりなんと、かたうどなるやうにて御けうくむ候なれば」(御書1,123㌻)
との御文は現在にも当てはまるものではないでしょうか。この御文から、時光の周りの誰かが(父母の兄弟かも知れません)、年若い時光に対し「日蓮房の信仰をして(貴方が)惑うことはないでしょうが、(日蓮房の信仰をしていることで)幕府のご機嫌をそこなうようなことになるかも知れない、と教訓がましいこと」を言ったことがわかります。正法から退転させるために、魔が手を替え品を替えて襲い来たり、「受くるは易し、持つは難し」の通りの現象が現れることを教えて下さるものです。正面から反対するのではなく、心配しているふりをして、私は反対しないが、幕府がどう思うかなどという論法は、私たちにもありがちなことです。たとえば「信仰は本人の自由だから、反対はしないけど、会社に知られたらまずくない?」などです。
〔時光を通して大聖人様は仰せです〕
今度法華経のために命をすつる事ならば、なにかはをしかるべき。薬王菩薩は身を千二百歳が間やきつくして仏になり給ひ、檀王は千歳が間身をゆかとなして今の釈迦仏といわれさせ給ふぞかし。さればとて、ひが事をすべきにはあらず。今はすてなばかへりて人わらわれになるべし。(御書1,124㌻)
〔現代語訳=この度法華経の信仰を命がけでするならば、惜しむべき事はない。薬王菩薩は一千二百年もの間我が身を灯明として仏に供えることで仏に成った。檀王は千年もの間我が身を床として阿私仙人に仕えた功徳で釈迦仏となった。ゆえに、道理に適った信仰を貫くべきである。今にいたって退転するようなことがあれば、人から笑われるであろう〕と。
強信者の時光ではありましたが、信心を貫く上で、公私ともに多くの難が立ちはだかりました。時光はその都度、大聖人様に御指導を仰ぎました。本日拝読の御書にも、難を乗り越えるための心構えが示されている通りです。
私たちは、時光の信心の末裔です。時光を通して大聖人様が私たちを導いてくださっている、と拝することで、現在直面している色々な問題を解決することができます。「御書の文字はただの文字ではなく、大聖人様のお言葉である、と拝することでより信心を深めることができます」と時光が教えて下さっております。
風薫る皐月です。時光が身をもって示した、日蓮大聖人・大御本尊への信仰の風を我が心に呼び込み、自行化他の御題目を唱えてまいりましょう。

大聖人様に奉る御供養の品々を携え、家臣と共に参詣する時光
(広布唱題行〔聖寿803年5月5日〕にて)