広布唱題行配付プリント〔聖寿803年7月7日〕『文底秘沈抄』
夫(そ)れ本尊とは所縁の境なり、境能く智を発し、智亦(また)行を導く、故に境若(も)し正しからざる則(とき)んば智行も亦(また)随って正しからず。妙楽大師謂えること有り、仮使(たとい)発心真実ならざる者も正境(しょうきょう)に縁すれば功徳猶(なお)多し、若(も)し正境(しょうきょう)に非ざれば縦い偽妄(ぎもう)なけれども亦(また)種と成らず等云々。故に須(すべから)く本尊を簡(えら)んで以って信行を励むべし。
日寛上人が御本尊様への絶対の確信を勧めて下さる『文底秘沈抄』の一節です。ここで「境」と「智」の二法が示されております。境は私たち凡夫の認識の対象としてあるものです。仏法では、仏様が真理を顕されたそのものを指します。これは、客観的な面と言えます。智は、その真理を認識する智慧のことで、主観的な面と言えます。ただし、認識するといっても、末法の凡夫である私たちは、自らが主体的に認識をすることは不可能です。そこで縁が大切になります。方便品の最後に「如是因・如是縁・如是果」と説かれておりますのは、縁の大切なことを教えて下さるものです。また、縁があっても、信じなければ折角の縁も無いことと同じです。
日蓮大聖大様は、南無妙法蓮華経の御本尊様を顕され、唯一絶対の境を示されました。この御本尊様が、一切衆生にとって「所縁の境」であると日寛上大は御指南下さっております。日寛上大は、私たち凡夫が認識の対象とする先、手を合わせる的は、富士大石寺に御安置の、本門戒壇の大御本尊様を随一として、代々の御法主上大が御書写下さった御本尊様である、と示されるのです。さらに、この御本尊様が絶対である、と強く信じることにより、正しい修行の姿となって顕われてくることを「智亦行を導く」というお言葉で御指南です。つまり、正境である御本尊様を信じることで、御題目を唱える行が深まり、大御本尊様を恋い慕う恋慕渇仰(れんぼかっごう)の心が芽生え、さらに、周囲の人々に自らの信じる教えを伝えよう、という慈悲が湧き出てくるのです。
私たち凡夫の心、末法濁世の濁った心でも、「正境に縁すれば功徳猶多し」とありますので、正境である御本尊様に縁をしているかぎり、大きな功徳が受けられます。
「正境」に縁をし、正直で素直に南無妙法蓮華経と修行に励んでおります。逆縁ではありません。より大きな功徳が具わります。
『立正安国論』が顕された7月です。上半期の闘いは如何であったか、自己満足だけの闘いではなかったか、自行化他の闘いが出来たか等々を省みて、後半の闘いを積極的に進めてまいろうではありませんか。暑い日々がまっております。が、御法主日如上人の御指南のままに、折伏の修行に励みましょう。
(広布唱題行〔聖寿803年7月7日〕にて)