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「法蓮抄」

朔日講拝読御書〔聖寿803年8月1日〕

『法蓮抄』 建治元年4年 54歳 御書815㌻ 6〜8行目

釈尊塵点劫(じんてんごう)の間修行して仏にならんとはげみしは何事ぞ、孝養の事なり。然るに六道四生(ろくどうししょう)の一切衆生は皆父母なり。孝養おへざりしかば仏にならせ給はず。今法華経と申すは一切衆生を仏になす秘術まします御経なり。

<孝養の秘術は法華経にあり>

釈尊が仏になることを目指して長い間修行をしたのは、ただ父母への孝養を願う心からでした。しかし、六道四生の一切衆生は皆、父母となり得る存在です。ですから、仏になるためには一切衆生への孝養が欠かせません。そこで、一切衆生を仏に導く秘術が法華経に説かれたのです。

《語句の解説》

〇塵点劫=はかりしれない長い時間のことです。ここでは、釈尊がはかりしれない時間を費やして修行をしたことを述べられております。はかりしれない時間を、法華経化城喩品第七には「三千塵点劫(さんぜんじんでんごう)」として、また私たちが毎朝夕読誦する寿量品には「譬如五百千万億。那由他。阿僧祇。三千大千世界。仮使有人。抹為微塵。過於東方。五百千万億。那由他。阿僧祇国。乃下一塵。如是東行。尽是微塵」と説かれていますね。この経文を書き下しますと、「譬えば五百千万億那由他阿僧祇の三千大千世界を、仮使人有って、抹して微塵と為して、東方五百千万億那由他阿僧祇の国を過ぎて、乃ち一塵を下し、是の如く東に行いて是の微塵を尽さんが如き」となります。意味は、「(私が仏に成ってどれほどの時間を経過しているかを説明すると)<たとえていえば、五百千万億那由他阿僧祇>、これは数量の単位のことです。五百×一千×一万×一千万(この一千万が経文の億に相当します)×一千億(これが那由他に相当)×阿僧祇は10の59乗といわれております。このような<大きさの全宇宙を、人がすりつぶして粉々にしたとする>というのです。途方もない大きさの宇宙世界を粉々にする、現実にそんなことができるかどうかということはともかくとして、微塵というのは目に見えないぐらいの大きさといえばおわかりになりますでしょうか、見えるか見えないかというところですね。<その粉々になったものを手にして、東に向かって進み>とありますように、その目に見えるか見えないかわからないほどになったものを手に持って東に向かって進んで行くのです。なぜ東に向かうのかといいますと、日が昇る東方に一切の根源があるとするのです。ゆえに、法華経の寿量品も一切の経文の根源である、という意味を込められているのです。ですから<東方>に向かうのです。そして、<五百千万億那由他阿僧祇の数の国を過ぎた時に一粒を落としたとする>ですから、粒の数を数えるだけでも大変なのですが、こんどはさらに通り過ぎた国の数を数えなくてはなりません。それも五百千万億那由他阿僧祇ですから大変ですね。でもそのようにして一粒置いて行くのです。<このようにさらに東に向かって進み、また五百千万億那由他阿僧祇の国を過ぎて一粒を落とし尽くし、粉々にすりつぶしたものがなくなった時>」となります。

〇六道四生の一切衆生は皆父母なり=(この御文の4行後には「六道四生の衆生に男女あり。此の男女は皆我等が先生の父母なり」とあります)ここの六道は、①地獄界 ②餓鬼界 ③畜生界 ④修羅界 ⑤人界 ⑥天界のことです。私たち過去・現在・未来の三世に生まれ変わり、六道を繰り返している、とされます。六道輪廻(ろくどうりんね)という言葉もあります。四生①胎生(たいしょう)=胎内で育つ哺乳類などです。②卵生(らんしょう)=鳥などの卵から生まれてくるものです。③湿生(しっしよう)=蚊・蛙(かえる)などの昆虫や微生物などで、湿気の中から生まれるとされる生き物のことです。また、その生まれ方をいいます。④化生(けしょう)=母胎・卵・湿気などによらず、自分の力によって忽然(こつぜん)と生まれることをいいます。天人や地獄・中有の者の生まれ方がこれに相当します。

 大聖人様はこの御文で、今生では人界に生を受けている私たちも、過去を遡れば、すベての衆生が母であり父である、と仰せです。すべての生き物が互いに深い関係を持ち、同じ輪廻の中で生きているのであり、それらすべての成仏を説く教えが法華経であり、末法では法華経独一本門の南無妙法蓮華経であることを教えて下さるものです。

 さらに申せば、このお言葉から、

①六道のどの世界に生まれ、どのような生まれ方をした生物であっても、すべての生き物は互いに関係しており、すべての生命は輪廻の中で何度も生まれ変わり、親子や兄弟姉妹など、さまざまな関係にあることがわかります。

②すべての生き物が父母であった可能性があるという考えから、他者を尊重し、慈悲の心を持つことが重要であることを御教示です。自らの命も、他者の命も慈しみ尊敬することに尽きます。

③人間だけでなく、すべての生命が同じように尊重されるべきであり、平等であるということです。どの生き物も過去世の善悪の業によって異なる境界に生まれ変わっていますが、現世だけの姿だけで判断してはならない、ということです。

 現代科学では、私たち人間だけではなく、犬や猫、また植物などの生命の起源は同じである、同一である、とされております。しかしその起源については、地球外にあつて石や慧星で運ばれてきた、あるいは、深海の熱水が元である、等の諸説があるようですが、何れも仮説の域を出ておらず今後の解明が楽しみになります。

 いずれにしましても、750年前に大聖人様が「六道四生の一切衆生は皆父母なり」と教えて下っていることの正しさを証明するものです。仏法で説く生命の在り方を現代科学が追認している、といえます。

〇今法華経と申すは一切衆生を仏になす秘術まします御経なり=法華経以外の教えでは仏に成ることができません。女性の成仏が説き明かされたのは法華経です。『女人往生抄』には、「諸小乗経には一向に女人成仏を許さず。女人も男子と生まれて後に成仏あるべしと説かる。諸大乗経には多分は女人成仏を許さず。少分成仏往生を許せども又有名無実(うみょうむじつ)なり」(御書342㌻)とあります。意は、諸小乗教では女性の成仏が許されず、女性は男性に生まれ変わった後に成仏ができるという男女の差別がある。女性成仏が説かれている大乗経も、成仏という言葉だけであり、成仏の証拠がない。法華経には、名実ともに女性の成仏が明かされている、というものです。『御義口伝』では「皆成仏道の法は南無妙法蓮華経なり」(御書1,806㌻)、『御講聞書』には「凡(およ)そ法華経と申すは一切衆生皆成仏道の要法なり。されば大覚世尊は『説時未だ至らざる故なり』と説かせ給ひて、説くべき時節を待たせ給ひき」(御書1,818㌻)とあります。一切衆生が一大残らず仏に成ることのできる教えが南無妙法蓮華経である。大切な教えであるから釈尊は大々の心根が整うまで説かれなかったのです。このお言葉から、私たちが南無妙法蓮華経と唱えることができるまで、お待ちくださっていたことがわかります。満を持してお説きくださった南無妙法蓮華経です。貴い縁を忘れないようにいたしましよう。

 聖寿803年も8月の朔日講を迎えます。厳しい暑さの中にもかかわらず、皆さまには遠い道のりをはるばる足を運ばれました。大聖人様のお言葉「道の遠きに心ざしの表わるゝにや」(御書689㌻)を思います。

 文字通り遠路の方もいらっしゃいます。また体調がすぐれない中を、ご先祖の供養のためと足を運ばれたことは、距離ではありません。バスや電車の交通費を工面するのも志です。「顕れた志に」功徳が具わるのは当たり前のことです。志を常に立てて、精進をすることが一生成仏の道です。

 オンラインで参加の方もいらっしゃいます。オンラインとはいえ、時間をやり繰りして、御本尊様の前にお座りになることは簡単ではありません。そこに志が表れていることを信じます。今一段とオンラインの使い方が平易になれば、もっと多くの方が恩恵を蒙ることができるようになると思います。蒙った恩恵を化他行に移すことができるようになれば、素晴らしい境界が開けてまいります。それにともない素敵な国土世間になります。要は私たちの一念だといえます。

《魔を恐れない》

 一念を定めて、一生成仏への正しい修行に励もうとすれば、それを妨げようとする働きが必ず起こります。抵抗勢力という言い方もあります。この抵抗を仏法では「三障四魔」と名付けております。成仏は、私たち凡夫の心を仏の心に変える作業ですから、簡単にはまいりません。この変わる過程で出現する「三障四魔」を見破り恐れずに乗り越えることができれば、成仏を大きく引き寄せる結果になります。

 日蓮大聖人様は『兄弟抄』で、

行解(ぎょうげ)既に勤めぬれば三障四魔紛然として競ひ起こる、乃至随ふべからず畏(おそ)るべからず」 (御書986㌻)

と励まして下さっておりますように、「三障四魔」と思える抵抗勢力が現れたときには、我が信心が前に進んでいるんだ、と捉え、罪障消滅の機会である、との喜びの心を持ち、さらに一歩前に進むことを心掛けましょう。

 「三障四魔」は、自己の心の中に生じる場合もあれば、周囲の大間関係や社会環境によって生じる場合もあります。暑さや寒さという自然環境も「三障四魔」の現れと考えることもできます。

 以上のようなことから、暑さ寒さ、また風雨などの自然現象や、距離や経済的なこと、さらに体調などを乗り越えて、朔日講にあたり、御本尊様の前に我が身を置くことができている皆さまの姿は、魔に打ち勝った姿です。心に確信と歓喜を持っているから出来たことです。継続してまいりましょう。

《当抄を賜った曽谷教信について》

 当抄の題号である『法蓮抄』の法蓮は、日蓮大聖人様から曽谷教信(そやきょうしん)が授けられた法名です。曾谷教信は曽谷二郎兵衛尉教信(そやじろうひょうえのじょうきょうしん・元仁元年<1224年>〜正応4年<1291年>)といいます。総本山第59世日亨上人の『弟子檀那列伝』には、「下総国葛飾郡曽谷(現在の千葉県市川市曽谷)に住して、富木氏に次いで入信し信行次第に増進し一生不退に大聖に奉仕したが、教解の進むに伴いて本門に猛進し迹門不読の見(勤行では本門の寿量品だけよい。迹門の方便品は読まなくてもよい、という誤った考え)を起こして訓誨(くんかい・教えさとす)を蒙った事もある。但し住地のその他の縁故に依り、富本・大田に協力して法塁(ほうるい・法の砦)を堅め通した。猶この地方には金原法橋が在り、秋元大郎兵衛が在った。大聖への帰嚮(ききょう・帰衣すること。心をよせること)強く互いに道交(どうこう・互いの心が行き交い共鳴すること)密で信行に進んで来た」とあります。

 一時大聖大様の教えを勘違いした時があったようですが、悔い改めて正信を貫きました。

 当抄の外に、『転重軽受法門』、『曽谷入道殿許御書』等の御書を賜っています。

《一切衆生を仏にする法華経》

 今月の15日は旧暦のお盆です。お盆は亡き方々への思いを新たにする機会ですが、「お盆休み」が先になっている感のある今日です。暑いさなかに、休暇を取り英気を養うようにご先祖が計らってくださっていると思えばそれもまたよしとしましょう。

 日蓮正宗は「常盆・常彼岸(じょうぼん・じょうひがん)」の宗旨です。意味することは、お盆やお彼岸の季節だけご先祖の追善供養をするのではなく、一年365日、欠かさずにご先祖や亡き方々への追善供養に励んでいる、ということです。朝夕の勤行での御回向がそれです。ですから、全宗教の中で、最高の親孝行な宗教が日蓮正宗です、と胸を張っていうことができます。

 『上野殿御消息』に日わく

法華経を持つ人は父と母との恩を報ずるなり。我が心には報ずると思はねども、此の経の力にて報ずるなり」(御書923㌻)

 厳しい暑さはこれからが本番です。十分な睡眠や水分の補給に心掛け、乗り切ってまいりましょう。呉々もご無理のないように。皆さまのご健勝を御祈念申し上げます。

(朔日講〔聖寿803年8月1日〕にて)