《善知識を考える》
☆大聖人様のおカはすべてを善知識に変える仏力・法力
『種々御振舞御書』 (御書・1,063頁)
①相模守殿こそ善知識よ。平左衛門こそ提婆達多よ。
《意訳》 日蓮が仏に成るための善知識(よき師であり、仏に導く者)は、相模守殿(北条時宗)です。平左衛門尉頼綱は提婆達多の役回りです。
☆強敵が実は善知識 (私たちの立場で考えると、嫌な者も苦手な相手も、信心の上では善知識)
②釈迦如来の御ためには提婆達多こそ第一の善知識なれ。今の世間を見るに、人をよくなすものはかたうどよりも強敵が人をばよくなしけるなり
《意訳》 釈尊にとっては、提婆達多こそが最も優れた善知識だったのです。今の世の中を見ても、人を成長させるのは味方よりも、むしろ強敵(厳しい相手)のほうが大きな役割を果たしていると言えます。
☆誰でも善知識
③日蓮が仏にならん第一のかたうどは景信、法師には良観・道隆・道阿弥陀仏、平左衛門尉・守殿ましまさずんば、争でか法華経の行者とはなるべきと悦ぶ。
《意訳》 日蓮が仏となるための第一の協力者は東条景信です。また、邪宗の法師では、良観や道隆や道阿弥陀仏などです。さらに、平左衛門尉や守殿がいなければ、どうして自分が法華経の行者になることができたであろうか、と心から喜んでいます。
☆子が親の善知識になった例・私たちも善知識
『法蓮抄』 (御書・820頁)
④過去聖霊のおはすらん処まで尋ね行き給ひて、彼の聖霊に語り給ふらん。我をば誰とか思し食す。我は是汝が子息が毎朝誦する所の法華経の自我偈の文字なり。此の文字は汝が眼とならん、耳とならん、足とならん、手とならんとこそ、ねんごろに語らせ給ふらめ。其の時、過去聖霊は我が子息法蓮は子にはあらず善知識なりとて、に向かっておがませ給ふらん。是こそ実の孝養にては候なれ。
《意訳》 仏様が亡くなられたお父様のもとを訪ね、こう語りかけてくださいます。「私を誰だと思われるでしょうか。私は、あなたの子息・法連が毎朝読誦する自我偈の文字です。私があなたの眼となりましょう、耳となりましょう、手足となりましょう」と。その親身なお言葉を聞いたお父様は、「我が子・法連はもはやただの子ではなく、善知識である」と悟られます。そして、娑婆世界にいる貴方に向かい、感謝し手を合わせ拝まれています。これこそが、真実のご孝養と言えるのではないでしょうか。
◇ 御書を拝しますと、絶対の善知識である御本尊様を受持する私たちの周囲は、まさに善知識で満ち溢れていることに気づきます。日蓮大聖人様は、御命を奪おうとした平左衛門尉頼綱でさえも「善知識」と仰せ下されています。これは、文底下種の南無妙法蓮華経の深遠なる教えにほかなりません。
どのような困難や試練に直面しても、それを肯定的に捉えられる信仰であり、その姿勢が道を開く力となります。また、私たち一人ひとりが尊い善知識の立場にあることに気づかされます。
自らの境遇を嘆くことなく、前向きな信心を貫くことで、必ず折伏の結果が現れます。そこに大いなる功徳が具わります。新しい年も、私たちは越えるべき課題や試練に直面することもあるかもしれません。しかし、折伏という行動を通して得られる功徳を心の杖とし、勇気を持って乗り越えてまいりましょう。
聖寿803年の御報恩御講に皆勤された皆さまにおかれましては、日蓮大聖大様より特別なお誉めのお言葉を賜ることができると存じます。誠におめでとうございます。また、ご都合により皆勤が叶わなかった方々のことも、大聖大様は必ず御照覧下さっております。どうか心配なさらず、ご安心ください。大切なのは、その御報恩の歩みを止めることなく継続することです。檀信徒ご一同が、明るく楽しい新年を迎えられることを、朝夕に念じ上げます。
聖寿804年も共に精進してまいりましょう。
(副教材:御報恩御講[聖寿803年12月8日]にて)