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「法華題目抄」

朔日講拝読御書〔聖寿804年正月〕

法華題目抄』 文永3年1月6日 45歳 御書360㌻

妙とは蘇生の義なり。蘇生と申すはよみがえる義なり。

<妙法の功徳>

南無妙法蓮華経の「妙」は蘇生の教えです。蘇生とは、よみがえることであり、再び盛んになることです。

◇宗祖日蓮大聖人御聖誕804年を迎えて

〔信心第一で成仏を目指す〕

 宗祖日蓮大聖人御聖誕804年の新春を謹んでお慶び申し上げます。

 本年も、御本尊根本・信心第一で、我が身の成仏(幸せ)と、縁ある方々の成仏を目指し、精進を重ねてまいりましよう。

◇21世紀の現状と課題

〔戦争の世紀を超えて〕

 21世紀は今年で25年目を迎えました。20世紀は「戦争の世紀」と呼ばれ、広島と長崎への核攻撃をはじめ、戦争による多くの犠牲がでました。しかし、世紀末にはソ連崩壊や東西ドイツ統一などで冷戦が終結し、ヨーロッパ経済の統合や東アジアの経済成長により、21世紀は明るい未来が期待されました。

〔不安定な世界情勢〕

 しかし、四半世紀が経ち、世界情勢は不安定さを増しています。「第二次大戦前夜に似ている」と指摘する声もあり、「新しい戦前」ともいわれる状況です。

 第三次世界大戦が起きれば、人類は確実に滅亡するでしょう。なぜなら、世界中に何万発もの核兵器が存在するからです。

〔日蓮大聖人が示される悪世末法〕

 このような有り様について、日蓮大聖人は『阿仏房尼御前御返事』では、

悪世末法の時、三毒強盛の悪人等集まりて候時」 (御書906㌻)

と仰せです。現代は人々を導く釈尊の教えが消滅した末法であり、悪世です。この時代には、(むさぼり)の心や、(いかり)の心、また(おろか)な心の三毒に心を支配された人々が充満します。三毒が強盛である世の中は、人々や国々の間で争いが絶えません。核兵器の使用を仄めかすような一国の大統領の発言は、悪世末法の様相そのものであり、人類が生き延びる保証はどこにもないのが現実である、ということです。しかし、嘆き恐れる必要はありません。

聖愚問答抄』には、

悦ばしいかな、生を五濁悪世に受くるといへども、一乗の真文を見聞する事を得たり。熙連恒沙(きれんごうじや)の善根を致せる者、此の経にあひ奉りて信を取ると見えたり」  (御書408㌻)

とあります。私たちは、いつ滅びるか分からない五濁悪世に生を受けましたが、ありがたくも「一乗の真文を見聞する事を得たり」とありますように、御本尊様を受持することが叶っています。それは、過去世でガンジス川の砂の数(熙連恒沙)ほどの善根を積んだ証である、と大聖人から励ましのお言葉をいただいています。

◇御本尊のおカと信ずる私たちのカ

〔御本尊受持の意義〕

 大聖人様は、御本尊様を受持する人は、過去世に善い行いをした人である。善い行いがあるから御本尊様を受持しているのだ、と私たちの過去世を肯定して下さっております。

 ゆえに、悪世に生を受けた、苦しいことばかりの世の中だ、と悲観的な捉え方よりも、御本尊様に見守られている、御本仏の御加護がある、と前向きに捉えることで、より功徳を実感できるようになります。どのような状況にあっても、固く信ずれば、大聖人様が導いてくださるとの確信がなによりも大切です。

◇核抑止力ではなく信仰で平和を築く

〔武力の限界〕

 軍事力を増強しても、真の平和な社会は生まれません。一方の国が核兵器を持てば、他方もまた核兵器に頼るという軍拡は果てしなく続きます。武力ではなく、信仰で平和な社会を築く以外に私たちが生き延びる道はないといつても過言ではありません。現実に起こっているウクライナや中東での戦争がそのことを教えています。

〔広宣流布の御遺命〕

 日蓮大聖人が御遺命として広宣流布を示されたのは、私たち一人ひとりの幸福を実現するためである、ということです。高い、高い目標ではありますが、信じて一歩一歩、折伏と名付けられた仏道修行に励むことが大切である理由がここにあります。折伏を通じて御本尊様の御加護を受ける人々が増えれば、平穏な社会が築かれていきます。

◇蘇生の法

〔蘇生の意味〕

 今月の拝読御書には、私たちが折伏をして弘める妙法は「蘇生の法」であることが示されます。蘇生は「よみがえる」ことであり、「よみがえる」の語源は「黄泉(よみ)の国から帰る」に由来し、死後の世界から戻る、命を取り戻すことを意味しています。これは単に肉体が生き返るということではなく、私たちの心や生き方が、妙法の功徳によって新たに生まれ変わることを示しています。

〔妙法の功徳・日常における気づき〕

 例えば、自分の過ちに気づき、心を変えることも蘇生の一つの形です。日常生活において、家族や友人との関係の中で心の在り方を見つめ直すこともまた、妙法の力による蘇生と言えるでしょう。そこで、「蘇生の法」である妙法を信仰することで得られる小さな功徳を次に考えてみたいと思います。

〔自己を省みる〕

 「自分は正しい」と自己中心的な考えを持っているわけではなくても、多くの人は心のどこかで「自分には間違いがない」と思っているのではないでしょうか。それが人間の性ともいえます。仏法ではこれを「煩悩」と呼びます。しかし、そのことにすら気づかないのも私たちです。

 自分の過ちに気づくきっかけは、親や友人、あるいは書物や人生経験から学ぶことなど、さまざまな形で訪れます。

〔心の変化と環境〕

 私たちの心は、向かう対象が同じであっても、置かれている環境や状況によって変わります。

 例えば、夏の暑い盛りには、太陽の光を避けるために日陰を選んで歩き、木陰を見つけるとホッとします。しかし、冬の寒さに震えるときには、太陽の光に背中を温められてホッとする――同じ太陽でも、季節によって私たちの心の反応は異なります。

 自然の現象であればその違いを受け入れやすいものですが、これが人間同士の関係となると簡単にはいきません。

〔自己の正しさを振り返る〕

 自分の考えや行動が「正しいかどうか」を知るきっかけは、身近な人々や学びを通して得られます。日蓮大聖人も「善知識(ぜんちしき)」    すなわち、正しい道を示してくれる人の大切さを説かれています。

 この善知識は、仏法即世法、信心即生活である三大秘法の御本尊様の信仰の上から、日々の暮らしの中にも当てはめることができます。

 私たちの日常では、家族や友人、職場、地域社会などでギクシャクした対人関係が起こることがあります。ひとたび起こると円満な関係を取り戻すのは至難の業であることが少なくありません。そのような場合も、太陽と自分との関係のように、俯瞰的に見ることができれば、我が心の在り方を知ることができるのではないでしょうか。

 例えば、Aさんという人物について、Aさんに非があり快く思っていない時に、Aさんから挨拶をされたとしても、それを素直に返せず、横を向いたり、聞こえないふりをして通り過ぎた場合、それはAさんではなく自分自身に非があるのかもしれません。このときの善知識は非があると思っていたAさんです。Aさんによって、自己の心の在り方に気付かされたのです。

〔日常の気づきから心を豊かにする〕

 ここに挙げたのは一例ですが、日常のささいな出来事にも、私たちが自分を振り返り、気づきを得るヒントがあります。自己を省みることは決して簡単ではありませんが、私たちは「十界互具(じっかいごぐ)」――迷いの凡夫といわれる私たちの心の中に、尊い仏様の心も、果てのない苦しみから抜け出すことができない地獄の心も同時にあることを教えて下さり、あらゆる生命の可能性を持つ存在であることを意識することで、小さな気づきを得ることができます。そして、その小さな気づきが積み重なっていけば、大きな成長や心の豊かさにつながるのです。大聖人様が、お題目を唱え折伏をしなさい、と教えて下さる御心の一つがここにあるように私は思います。

◇新年の誓い

〔御法主上人の御指南のままに〕

 本年も、御法主上人が常に仰せ下さるように、自他ともの幸福を願い折伏に励んでまいりましょう。

新しい年の初めにあたり、私たちの信仰である南無妙法蓮華経は「蘇生の法」であること、それは自己の心を見つめることができる教えであること、戦争の脅威が差し迫っているからこそ、広宣流布を目指さなくてはならないこと、そのための折伏であることを申し上げました。

(朔日講[聖寿804年正月]にて)