『上野殿御返事』 建治元年5月3日54歳 (御書824㌻)
さつき(5月)の二日にいも(芋)のかしら(頭)いし(石)のやうにほ(干)されて候を一駄、ふじ(富士)のうえの(上野)よりみのぶ(身延)の山へをくり給(た)びて候。 (乃至)
此の身のぶ(延)のさわ(沢)は石なんどはおほく候。されどもかゝるものなし。その上夏のころなれば民のいとま(暇)も候はじ。又御造営と申し、さこそ候らんに、山里の事ををも(思)ひやらせ給ひてをく(送)りたびて候。所詮はわ(我)がをや(親)のわかれのを(惜)しさに、父の御ために釈迦仏・法華経へまいらせ給ふにや、孝養の御心か。
さる事なくば、梵王・帝釈・日月・四天その人の家をすみか(栖)とせんとちか(誓)はせ給ひて候。いふにかひなきものなれども、約束と申す事はたがへぬ事にて候に、さりともこの人々はいかでか仏前の御約束をばたが(違)へさせ給ふべき。もし此の事まことになり候はゞ、わが大事とおもはん人々のせいし(制止)候。又おほ(大)きなる難来たるべし。その時すでに此の事かなうべきにやとおぼ(思)しめ(食)して、いよいよ強盛なるべし。さるほどならば聖霊仏になり給ふべし。成り給ふならば来たりてまぼ(守)り給ふべし。其の時一切は心にまか(任)せんずるなり。かへすがへす人のせいし(制止)あらば心にうれしくおぼすべし。恐々謹言。
五月三日 日 蓮 花押
上野殿御返事
【現代語訳】
さつきの二日に、富士の上野より身延の山に里イモをお送り頂きました。よく干され、石のように堅くなっているので、実が詰まっていることがわかります。(中略)
身延の沢は石ばかりで、賜ったような里イモは出来ません。しかも、夏の農繁期に加え大宮の造営も重なるこの時期に、山里の日蓮のことを心配下さり貴いお品をお送り下さいました。思いますに、亡きお父上の来世を心配されるお心が、釈迦仏・法華経(御本尊)への御供養となったものでしょうか。まことに貴いご孝養のお志です。
このようにご孝養を尽くす人の家には、大梵天・帝釈天・日天・月天・四天王などの諸天善神が住み着き、その家を守護することを誓っております。口にする価値のないような者でも、約束は守るものです。仮りにその者たちが約束を守らないことがあったとしても、大梵天などの諸天善神が、仏の前で誓ったことを破るようなことはありません。このこと(前段に示される。仏の弟子・阿那律が、稗の飯を辟支仏に供養したことで普明如来になったこと。同じように時光が日蓮への御供養の功徳で阿那律と同じように仏になること)が真実であれば、貴男が大切に思っている人々から、日蓮の信仰をしてはならない、と制止されるでしょう。そればかりか大きな難に襲われるでしょう。しかし、大きな難が来た時こそ、成仏の願いが叶う時であると思い定め、いよいよ強盛に励むべきです。いよいよ強盛に励むならば、亡きお父上が来世で成仏します。成仏したお父上が貴男の所に来て守ってくださいます。成仏したお父上の守護がございますので貴男の一切の願いは叶います。重ねて申し上げます。日蓮の信仰を制止する者が現れた時には、私の成仏が近づいたと心の底から嬉しく思いなさい。謹んで申し上げます。
(広布唱題行〔聖寿801年5月1日〕にて)