『富木殿御消息』 文永6年6月7日 48歳 御書418㌻
(広布唱題行拝読御書/聖寿805年4月5日)
大聖人様に始まり、日興上人に受け継がれ、今日まで続く「御報恩御講」
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大師講の事。
今月は明性房にて候が、此の月はさしあい候。余人の中せんと候人候はヾ申させ給へと候。貴辺如何仰せを蒙り候はん。又御指し合いにて候わば他処へ申すべく候。恐々謹言。
六月七日
日蓮花押
土木殿
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〔現代語訳〕
天台大師の報恩御講のことでご連絡です。今月の当番は明性房なのですが、都合がつかないとのことで、どなたか代わっていただけないかという話がありました。そこで、富木さんにお願いできないかと思い、ご連絡しました。
ご都合はいかがでしょうか。もし難しければ、また別の方にお願いしようと思っています。
どうぞよろしくお願いします。
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〔御報恩御講の始まりは大聖人様〕
文永6年(1269年)6月7日、大聖人様48歳の時に富木常忍に出された手紙です。「大師講」は中国の天台大師の御報恩のために開く法会です。この御文から、大聖人様が天台大師の御恩に報いるために「御講」を執り行われていたことがわかります。
なぜ天台大師だったのでしょうか。日寛上人は『本尊抄文段』で、大聖人様は末法の教主、天台大師は像法の教主、大聖人様は下種の教主、天台大師は熟益の教主、とお示しです。このことから、大聖人様は天台大師の御講を執り行われ、感謝の心を表されたことが拝せられます。大師講では『摩詞止観』など天台大師の著したものを読み御講義がなされていたことも御書に示されています。現在の私たちが執り行っている「御講」のもとに、大聖人様の御振舞があることを忘れてはなりません。「知恩報恩」という言葉がありますように、恩を知り恩に報いることができる我が身の幸せを思います
大聖人様が御入滅の後は、日興上人が御講を執り行われました。日興上人が御報恩を申し上げるのは日蓮大聖人様ですー御書を拝読し、大聖人様の仏法を心肝に染め、成仏の信仰をより確かにし、折伏の決意をする場が御講です。
日蓮正宗で執り行われる「御講」は、大聖人様が始められたものであることを心にとどめ、恩を知り恩に報いるために、ともに励みともに功徳を積み、我が命をより折伏のできる命に育ててまいりましよう。